2014-01-01から1年間の記事一覧

「1843年のセガン」 第1号

まえがき オネジム=エドゥアール・セガン(Onésime Édouard Séguin 1812-1880)は、知的障害教育を開拓した人として、教育界においてはほぼ教養的な人物として知られている。しかし、その人物像が明確に描かれてきたとはとうてい言えない。彼自身がまとまった…

旧稿「2009年4月26日 晴れ」の再考

1.旧稿より ピガール通り6の教育施設(これまで学校と訳してきたが、正式機関名はcours)の設置場所について調査。ペリシエ等の『子どもの精神医学の開拓者 エドゥアール・セガン(1812-1880)』により以下のことが分かった。 建物は18世紀のもので、2棟の母…

Abel Étienne Louis TRANSON (1805-1876)

Gendre de Louis Marie François Dessales Desnoyers (1787-1846 ; X 1806), dont une autre fille avait épousé Louis Marcellin Tournaire.Ancien élève de Polytechnique (promotion 1823, sorti major sur 95 élèves) et de l'Ecole des Mines de Paris …

セガン1839年実践記録(第1教育論) 訳文と解説

われわれが14ヶ月前から為してきていることの要約 1838年2月15日から1839年4月15日まで 川口幸宏訳要約と結論 1. 三つの能力、すなわち活動、知性および意志は、人に備わったその他のあらゆる能力を支配する。私がこのように三つの能力を割り振った順は、市…

アパルトマン界隈事情

ぼくの住むアパルトマンはパリ11区。中国人たちが衣服問屋の店をずらりと並べている。ドアには「小売りはできません」という断り書きがどの店にも張られているので、ぼくには縁がない。その道から小路に入ると、バスチーユ広場に続く道への近道とあって、し…

ある日ある時のパリ歩き <9区 ピガール通り>

オネジム=エドゥアール・セガン(1812年フランス生まれ〜1880年アメリカで没す)が1840年に最初の教育施設を開いたピガール通り(パリ9区)近辺は、パリ・コミューン(1871年)を研究するぼくにとってもなじみの地名である。パリ・コミューン下で生きる一…

(旧稿)さわやかな秋の一日の散歩にて、つい長舌

秋はさわやかに決まっている。そういう季節感覚を染みこませてパリにやってきた身にとってみれば、「夏過ぎて秋来るらし」なんてのんびりと構えていたら、間違いなく風邪を引いてしまうだろう季節の移り変わりの足の速さが気に入らない。現に、数日来、室内…

ある教育対話

川口 幸宏 ディスク内データの整理作業中。これ、削除しようかどうしようか迷っています。 「大学教育はきわめて実技実践的に成り下がっています。頭を使うのが嫌な学生たちはとても元気で盛り上げてくれます。」西村 敏雄 最近の大学改革の方向が文系には冷…

2012年セガン生誕200周年記念国際シンポジウム参加の旅日記

2012年 10月24日(水) 晴れ→曇り 6時過ぎ起床。7時前に自宅を出る。東武野田線新柏より新鎌ヶ谷、新鎌ヶ谷からアクセス特急にて成田第二ターミナル駅。空港で姫様(幻戯書房編集者三好咲さん)と落ち合う。今回の旅の同行者を務めてくださる。 11時10分発の…

卒業生S君の訪問を受ける

研究室で頭を痛める仕事に疲れほっと一息を入れているぼくの惚けた顔の真横に、ヌゥッと顔を出したのはS君だった。ぼくは、まじめに仕事に熱中しているとき(これはあまりない)やPCのカードゲームに熱中しているとき(これがほとんど)、放心状態にあるとき…

「筏師哀歌」再録

「仕事歌」というジャンルが確かにあった。それが人々を繋ぐ絆でもあった。主として第一次産業、第二次産業地帯。「都市化」「近代化」が失っていったものは「仕事歌」。具体によって人々が繋がるこの紐帯は強い。拘束性すら持つ。だから、「近代化この良きも…

ウージェーヌ・シュー「idiot(イディオ)」

パリでの遊興に倦んで、私は、静けさを求めて、レズの森近く、**(<ママ>)シャトーに出かけた。そこでの滞在は、不快感とか束縛感とはまるで縁遠く、景色の美しさや宿の主人の親切なもてなしに魅了された。食事時に集まりさえすれば、誰もがそれぞれ自分…

アヴェロンの野生児 史料

1801年6月9日付 国立聾唖教育施設医師よりアヴェロン県知事宛知事殿 国立教育施設の管理職者は、内務大臣の許可を得て、およそ一年前貴県下の森の一つで発見された若者を私の治療に委ねております。この不幸な若者は、私の見る限り、進歩を見せており、さら…

「いじめ」からの脱出ー私の「生活指導」実践記録

「いじめ」という魔性 私自身は「いじめっ子」であったし「いじめられっ子」であった。もしかしたら今も「いじめ」の行為者であり被行為者であり周辺者であるのかもしれない。とりあえずは過去の私を紐解いてみる。「いじめっ子」であったというのは、善意・…

たった一回限りの授業−2013年度学習院大学文学部教育学科「教育入門演習」

2013年度から学習院大学文学部教育学科が開設された。主として小学校教員を養成することを目的としている。私は同年末で定年退職の立場にあるので、設置にあたる準備過程で関わりはしたものの、開設されるとほとんど関わりを持つことがなかった。ただ、「教…

ぼくの「フランス」入門のこと

ありがたいことに、ぼくの人生の節々には光を差しともして下さる方が現れる。生活綴方へと導いて下さった倉沢栄吉先生、生活綴方の英語圏版とも言えるwhole languageへと導いて下さった志摩陽伍先生。 学習院大学に転じた時には、さすがに、自力で研究課題を…

生まれて初めてフランスエッセイを日本語に翻訳したこと(2000年6月)

日本の教育レポート どうして青年期はハラキリをさせられるのか アレクサンドル マンドリ 特派員 『マリアンヌ』誌 2000年6月19日から25日週 第165号殺人、きちがいじみた振る舞い、絶望的な断絶、そして伝統・・・・ 日本の若者たちは太陽の昇…

フランスの教育制度-「フレネ教育」を論じるために

−以下は、2000年段階の記録である−1.フランスの教育制度は日本とかなり違う。6歳小学校入学、というのは同じだが、小学校はCP、CE1、CE2、CM1、CM2の5学年制。日本の学年呼称に言い換えればそれぞれ1,2,3,4,5学年となる。しかし、省略文字の意味…

邂逅 

某月某日− 45年ぶりのサメのハツ とある大きな魚屋の品並べをゆっくりと眺め歩いていた足がぴたりと止まった。生きのいい「目の下1尺」という形容がふさわしい真鯛、目が輝いているおおがらの鯖、中型のでっぷり太った鰹などなど、豪華絢爛たる魚群の隅のほ…

(古稿)ヴァガボンの終着

「もう一度、行ってみたい。」 前日とうって変わった雨模様、冬に逆戻りをしてしまった土曜日のことである。午前中はこれまでの仕事の整理にあたっていたが、母や担任の教師からよく言われたように「持って生まれた」ヴァガボン(vagabond 移り気な)気質が…

酒井根古戦場史跡

今日の散歩は、日本で一番早く作られた光が丘団地(今は公営団地ではない)内にある古戦場史跡を目指した。 以前はテラス式のすばらしい団地でったが、現在は・・・犬猫を飼うことは禁じられている。つまらない団地だ。 上の小さくこんもりしたところが目指…

<自己実現論に寄せて>

21世紀はどのような時代になるのだろうか。人々はどのような社会で暮らすのだろうか。このような問いに対する答えを出している書物がおびただしい数で書店をにぎわしている。曰く、国際化時代とその社会、生涯学習時代とその社会、情報化時代とその社会、等…

私の教育エッセイ

―「私教育」が「公教育」に従属する源を「私」に探す1. 問題とするところ 我が国の教育に関わる根本法(日本国憲法及び教育基本法)には、「学校教育」「社会教育」「家庭教育」の機会が国民に用意されなければならない旨が述べられている。このうち、内容・方法・手段と…

) »Un grand mal, c'est que l'homme de lettres qui, par profession, devrait être le guide de ses contemporains, est atteint lui-même de la contagion commune, l'indécision des principes, l'incertitude des conviclions. n est même en général moins fixé dans s

LES MISÉRABLES DE VICTOR HUGO, PROLOGUE DE LA COMMUNE

Il sera difficile, d'ici à longtemps, de parler des Châtiments avec justesse et mesure. Telles sont les inépuisables rancunes amassées dans nos coeurs contre l'homme provoqué par M. Hugo en un duel à mort, qu'on pardonne presque à Pindare-…

Jounal de prison. Le 30 juin 1941 ― suite2

Quand j'évoque ma vie, je vois tant de petitesses, de lâchetés, de mufeleris et (surtout) de mensonges que j'ai commis, et pourtant je sais que cela n'a pas d'importance. Il y a quelque chose en moi (ou la possibilité de cette chose) qui e…

Jounal de prison. Le 30 juin 1941 ― suite 1

Evasions: l'homme est doublement prisonnier: de ce monde de trois (quatre?) dimensions et de son moi. D'où sa solitude. Les moyens d'évasion et de communion. En Dieu (cf. Berdiaeff *4). Art, amour, mort (Sparkenbroke *5). La mort seule nou…

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Jounal de prison. Le 30 juin 1941 ― suite

Le malheur, ce n'es pas qu'il y a trop de souffrances dans le monde, mais qu'il y a trop de souffrances stériles. La superstition est un ersatz du sentiment ded l'indépendance lorsque nous sommes impuisants de changer le cour des événement…