バーゲンと乞食(2001年)

バーゲンと乞食

 今パリは冬期のバーゲン真っ盛り。年に2回あるバーゲンはパリの風物詩の一つに数えられる。それぞれの店のウインドウガラスにはSoldesと大きな張り紙がしてある。ぼくは昔から、「特価品」と「特売品」の違いが分からないのだが、パリのSoldesはどちらなのだろうか?たいていの店が50%と書いてある。高級衣料品店などは30%、ときには20%という割引率が相場のようである。パリの街挙げてバーゲンなどと言うと、それじゃおまえ、パリ中の店みんなかい、などと迫られそうだから前もって言っておくと、衣料品、バッグ、靴、化粧品、宝石など身につけるものは間違いなくそうである。それから文具もそうだし、デパートのペット用品売り場もそうである。ひょっとしたらペット類もバーゲン対象にされている。ちょっと変わったところでオートバイを売る店もSoldesと書いてある。中には、ウインドウガラスからそれぞれの品物にSoldeと張り紙をしてあるのが見える店がある。この店は、バーゲンをする品としない品とがあるので、店を挙げてのSoldesではないわけだ。なかなか正直な店だと思う。「大安売り!」などという言葉につられて品定めをして、「これ下さい」と言うと、「お客様、その品は、バーゲンの対象になっておりません。正価どおりです。」などと返され、騙された気分で不愉快になるという、どこかの国のバーゲンセールとは違うわけである。
 このバーゲンセールは1ヶ月ほど続く。
 セールが始まった日からどっと人が街に繰り出し、高級衣料品の店が並んでいる名所では身動きがとれないほど。大きな紙袋を三つ四つ抱えて目をつり上げて急ぎ足で歩いているのは、まだまだ買い足すぞ、という勢いのある人。この人たちの側に寄ることはよした方がいい。紙袋がこちらの体に当たっても、「エクスキューゼ・モア」も「パルドン」も、あ、違った、「ごめんなさい」「すみません」の言葉を掛けられることはまずなく、不愉快になるだけだから。店の中を覗くと、買うつもりなのだろう、両手に品物を持ち、体を斜めにして、人波を乗り越えている人がいる。両手は自分の頭より高く挙がっている。つまり、身動きがとれない状況の中で、とにかくお目当ての品物を奪い合うようにして手にし、それをカウンターのところの列に行き着こうとしている勢いなのだ。どこかの国のスーパーやデパートの開店目玉セールと銘打った「超特価」「超特売」と同じ光景だと思えばいい。どっかの国とパリのバーゲンとの違いは、「やっぱり超特価だけのことだね」と、後日、しみじみとこぼす言葉があるかどうかの違いだと、勢いのある人たちは信じているのだろう、と思う。でないと、高い飛行機代と高い宿代を出してくるはずはないもの。
 面白いと言ってはご当人たちに叱られるかもしれないが、高級品こもごもの店のごった返しは我が同胞の群、有名な高級品店の隣、またその隣、その向かいなどののこもごもの店はそれなりの身なりの、明らかにヨーロッパ系の群。そこら辺の街の店は、それらと比べると閑散としているが、それでもいつもよりは人が入っている。そして我が同胞を除くアジア系、アフリカ系、中東系の人たちがゆったりと構えて品定めをしている。
 バーゲンもまた、現代的な階級制がくっきりとあらわれているのだ。
 (ごった返しにあわずにブランド商品を手に入れるコツがないわけではない。それは開店と同時に行くこと。ただし、掃除中であったり、まだ働く意欲が湧かない店員の緩慢な態度に、せかせか人種日本人は、立腹することだろう。けれど、お目当てのブランド商品は確実に入手することができる。)
 某日。ぼくはいつものお気に入りの恰好で、つまり、ごま塩よりも白さの方が不確かな割合で占めている、前頭と頭頂とがかなり薄くなっている、おまけに櫛でとかない髪と、いっさい手入れをせずに1ヶ月経った顔の髭(これがまた、疎らさがだらしない)、いつクリームで拭いただろうかと自分でもいぶかるほど手入れをしていない靴、膝の部分がふっくらと膨れあがり、ひょっとするとテカテカとしている茶色のコールテンズボン、セーターの下に着ているのは人様には見えないけれどもボタンが幾つも取れたワイシャツ、そして明らかにそれと分かる偽なめし革の、スーパーの吊しでSとサイズ表示がしてあったけれども、だぶだぶの深緑のコートといういでたちで、バーゲンでごった返す街に繰り出した。
 ぼくの目当てはバーゲンではない。古書漁りである。古書というものは行き当たりばったりで買うことが通常である。どのぐらいの量を買うかというよりは予算の上限だけを決めてアパルトマンを出る。量的に多くなることがあれば、本というものは重いので、背に大きめのリュック、そして手には頑丈な紙袋を持つ。こちらでは、簡単に破れてしまう薄いビニール袋に入れてくれるだけ、どんなに重くても大きささえあればビニール袋に入れて渡してくれる、カウンターを離れたらもう破れて本が落ちる、などということは日常茶飯事である。代わりのビニール袋をくれる店もないではないが、あまりあてにしてはいけない。そういう教訓から頑丈な紙袋をあらかじめ用意していくわけである。
 この日の古書漁りは大きな収穫があった。19世紀半ばから終わりにかけての新聞や記録など、大きな専門図書館にでも行かなければ見ることができないものがほとんどである。1年分の新聞の合冊などは厚さだけでもすさまじい。それに類したものが数冊、それにぼくの研究には欠かせない先行研究書も、図書館でも見つけることができなかった稀覯本(とぼくは思いこんでいる)、それが数冊。ちょいとおまけに、ヴィクトル・ユゴーなどの直筆手紙のコピーを集めたもの。ジャン・ジャック・ルソーの直筆手紙は、1編が日本円で90万、100万円もしていた(日本の某「超一流」国立大学が買ったと店の主から聞いた。国民の税金で買ったのだ、是非、国民に公開してもらいたい、当大学関係者あるいは関係機関の紹介を受けた者のみ閲覧可能などという差別、いや排除はやめにして欲しいものだ。日本国国民である証さえあればいいのではないか。)が、ぼくにはそういうもののオリジナルは必要がない、コピーで充分である。だけれどそのコピー本も、もう手に入らない代物。リュックに入る大きさのものは可能な限りリュックに詰め込み、リュックの手に余るものは紙袋に入れ、よっこらしょ、よっこらしょ、と歩いていた。当然のことながら、背中を丸め、バランスを取ろうとするから前屈みで、時にはフラフラしながらの歩行である。
 バーゲンでごった返す歩道を、ようようのこと人混みをくぐりながら歩いていると、出会うこと出会うこと、頭がまるで爆発したような、脱色頭髪の男女の群。そして昔ごく一時茶の間でも、即席動物園でも、水族館でももてはやされたエリマキトカゲの末裔かと思われる首のあたり。…考えてみるとこの姿は、まるで生来の日本人ではない。とくに女性は、眉毛を、当人たち曰く「きちんと手入れしている」のは、完全に日本人顔型からは脱している。何しろ眉があったはずのところにはないのだもの……いや待てよ、本当かどうかは知らないけれど、お公家様と称する階層の人は眉毛が、額の随分上の方で、しかもちょこんと座っているだけだっけ…。眉をできるだけ自然状態から遠ざけるというのは、もしかしたら、きわめて特殊階層のお家芸、それを今日、きわめて特殊階層の人々が、その歴史を知りもしないで、再現しているわけか。しかし、それがまた、パリの街中では日本人以外の何者でもない、ということを証明してくれるのだから、これほど不思議な文化はないと、ぼくは思う。彼らとすれ違うたびに、彼らから、汚物を見るような目線を送られ、顔を背けられてしまうけれども、ぼくはまるで宇宙人に会ったような気分でさえあり、怖くもあり好奇心も湧いてくる。
 彼らの群がいくつか過ぎ、今度は、母娘なのだろう、年格好はそのように見えた二人連れの姿が目に入った。二人は、共に、脱色で、爆発はしていないが、短く、しかし整えて切っているのではない頭髪の持ち主だった。もちろん眉は三日月よりも細く、目尻のあたりで鋭角に曲がり落ちている。そして娘らしい方はやっぱり棲息中のエリマキトカゲ様である。日本語がかなり遠くから聞こえてきたので、彼らの姿に気がついたわけである。鼻をつく異様な匂い、つまり化粧品の匂いが、すれ違いの時に、母親の方からであろう、漂ってきたときは、さすがにぼくも顔を背けてしまった。しかし、どうやら顔を背けたのはぼくだけではなかったようだ。二拍子ほどおいた後、背後から、前よりも大きな日本語が聞こえてきたのだ。
「さっきの人、日本人、ちゃう?」
「どう見てもせやな。」
「きたないカッコやな。」
「パリであんなカッコされたら、うちら、同じ日本人として恥ずかしいわ。」
「ひょっとして、乞食、しとるんとちゃうやろか。」
「紙袋持っとったけど、あン中、ものすごい汚い紙、入っとったもんな。」
 この言語は、懐かしい、ぼくのふるさと訛である。懐かしくはあるが、帰りたいと思うことはまったくない自分を、ひょっとしたら郷土愛が欠落している、似非日本人なのではないかと責め続けてきたが、この会話を背中越しに聞いたとたん、ぼくはぼくを責めなくてもいいんだと安堵した。それと同時に、彼らに保障された以上、ぼくは、パリの、スリという高級技術者に目を付けられることはないのだ、と確信もしたのである。
 もう一度二人の姿を確かめようと思って振り向いたら、二人もこっちを振り向いた。そしてにわかに急ぎ足になり、人混みの中に消えていった。手にはルイ・ヴィトンの紙袋が、それぞれ三つずつ下げられていた。ここはクリニャンクール。二人が某国大使館に駆け込むことのないように、ただ祈るだけである。