2015-01-01から1年間の記事一覧

古代にロマンを求めた頃のことの巻〜木造赤坂遺跡を訪ねて〜

1. お福ちゃん、猩ちゃんを伴って歩いた旧久居市内の街々は「ぼく」が懐に抱かれて育ったところ。いわば羽ばたきをはじめる前の幼鳥と母鳥の如くである。やがて幼鳥は、母鳥の懐から抜け出し、母鳥の視界に収まらない活動をはじめる。 高校生となった「ぼ…

日本育療学会小規模研修会(2008年度)における拙報告へのお二人の感想

小規模研修会参加報告 長谷川千恵美(日本大学非常勤講師) 研修会では、知的障害児教育の開拓者であるエドゥアール・オネジム・セガン(1812-1880)の軌跡を、川口幸宏氏(学習院大学教授)が現地で調査入手された豊富な史資料・写真と解説に導かれながらた…

(旧稿)ある日ある時のパリ歩き <9区 ピガール通り>

オネジム=エドゥアール・セガン(1812年フランス生まれ〜1880年アメリカで没す)が1841年に白痴・痴愚の子どものための教育施設を開いたピガール通り(パリ9区)近辺は、パリ・コミューン(1871年)を研究するぼくにとってもなじみの地名である。パリ・コ…

「セガン」に向かい合って、10年―私と「セガン」

I 2005年7月2日、清水寛氏の編著書『セガン 知的障害教育・福祉の源流―研究と大学教育の実践』(全4巻、日本図書センター)出版と、同書を対象として日本社会事業史学会から文献資料賞が授与されたことをお祝いする会が、東京・豊島区の学習院大学文学部大会議…

2008年10月18日 育療学会小規模研究会 報告のためのレジメ・基礎資

2008年10月18日 育療学会小規模研究会 報告のためのレジメ・基礎資料 学習院大学 川口幸宏はじめに 人間の子どもとして生れ落ちた人びとの中で、人間として扱われず、育てられず、ある者は闇に葬られ、ある者は「村」の外に棄てられ、ある者は生涯を囲いの中…

ラ・コミュヌ・ド・パリ研究会 O先生1

たいそうご無沙汰いたしております。暑中見舞いの書状に添えて「新聞」38号39号をお送りくださいましてありがとうございました。着実に「パリ・コミュヌ」研究をすすめられておられるご様子に、大いに学ばせていただいております。 さて、私が先生の「新…

(再録)H 氏へ/われわれが14ヶ月前から為してきていることの要約/1838年2月15日から1839年4月15日まで

原著 E. Seguin 翻訳 川口幸宏要約と結論1. 三つの能力、すなわち活動、知性および意志は、人に備わったその他のあらゆる能力を支配する。私がこのように三つの能力を割り振った順は、市井の人に対する影響のその順序とはまるで正反対を表しているが、われ…

(翻訳紹介)「教育の自由」1850年1月15日立法院議会におけるヴィクトル・ユゴーの演説

訳者 川口幸宏翻訳紹介にあたっての若干の解題 原題を LA LIBERTÉ DE L’ENSEIGNEMENT とするヴィクトル・ユゴー(Victor Hugo)の演説は、1850年1月15日の立法議会(Assemblée législative)においてなされたものである。この演説は、フランス共和国史における教…

「いじめ」解決を目指して

ある「いじめ」の相談 199*年11月末、G学院に籍を置く大学院生・江藤志津の訪問を受けた。相談の要点は、都内某区の公立中学校に通う1年生の弟・和夫が、学級内で複数の同級生から暴力的いじめを受けているが、どうしたらそのいじめを無くすことができるか…

古き時代の塵を求めて

研究者にとって、オリジナル資料とコピー資料とを比べれば、天と地ほどの差異がある。パリ・コミューンを興味本位で追いかけ始めた頃には、たとえコピー版であろうともその時代の息吹を、真新しい紙と写真製版のためにすり減った活字に、心を躍らせていた。…

6351はテントウムシ

1. ぼくは今、左手に、幅1.5センチほどの紙製の腕輪をはめられている。これには、ID:******* 瀬田康司様 6351 MA型Rh+ などと記入されている。この腕輪は「ハサミで切らない限り、はずせません」との看護師の言葉にあるごとく、この病院におけるぼくの識…

ずっと昔の講義日記 「リョウ物語」

リョウ物語 講義は数多くのドラマと逸話を生み出します。今回はそれにまつわるお話し。∵起 教育原理(現:教育基礎)の受講生の一人、かわいいリョウちゃんと一ヶ月ぶりに教職課程事務室で顔を合わせました。その時の会話より-------。 僕「よう、元気?」 …

(旧作)もんじゃ食べるはスピリッツ

(1) 昨年暮れ、12月22日、例によって例の貴婦人−トドちゃん−と、「思いつき浅草もんじゃの会」を催した。 「思いつきというのはよろしくありません、何でも計画的に行うのが人間として徳のある生き方なのです。」とばかりの教育に辟易させられて生き続け…

旅はドタバタ… ジャマイカ紀行 (1)

昨夜の妻と上娘の帰宅を午前0時まで待っていたが、それぞれ研究会や仕事の関係があったのだろう、ぼくは先に眠りについた。何といっても朝6時には起き、旅の最終チェックをし、ネコたちを動物病院に預けに行かなければならないのだ・・・。 目が覚めると、何…

鶴福猩が古代を旅した  松阪編

☆松阪ほど近くの車中にて進行方向右の車窓向こうの山並みを指差しして(中世の巻) 「白米城」と呼ばれる城趾があるのですよ。山のてっぺんが城垣の形をしているのがあるでしょ?水攻めにあったのだけれど白米を流してまだまだ水があると思わせた、という話…