ラ・コミュヌ・ド・パリ研究会 O先生1

 たいそうご無沙汰いたしております。暑中見舞いの書状に添えて「新聞」38号39号をお送りくださいましてありがとうございました。着実に「パリ・コミュヌ」研究をすすめられておられるご様子に、大いに学ばせていただいております。
さて、私が先生の「新聞」の「読者」であるための姿勢はどのようなものであるべきなのかと、考えながら拝読いたしました。今回の記事で言えば、堺利彦論文の紹介は、私にとってきわめてありがたいものであり、感謝申し上げます。我が国における「パリ・コミューン」史観の一つの頂点を座学させていただけるわけですから。その点ではこれ以上のことを申し上げるべき事はないと思います。
ただ、堺利彦論文に付された注の中に、いささかの疑問を持つ箇所がいくつかあるのを、どのように先生にお示しすればいいのか、悩むところです。というのは、注記は先生自身がお書きになったものではない、ということにあります。たとえば、(第38号)注24の末尾に記されている「新聞も解消された」とは、おそらく「新聞も発行禁止等の政策によって弾圧され、発行ができなくされた」という意味内容だろうとは理解しますが、「新聞も解消された」という表現の仕方そのものはあるのだろうか、と思います。「先生の手になる文章ではない」(であろう)が故に、引用者の先生に責任はない、ということで果たしていいのだろうか、とは思いますが。
また、これは編集・表現の統一の問題に関わりますが、第39号「さっそく行きたいシテ島」記事中「ヘンリー4世」(右ページ)、「アンリ4世」(左ページ)とあります。いうまでもなく前者は英語読み、後者はフランス語読み、HENRI IVはフランス国王でありますので、フランス語読みで統一されてしかるべきかと思います。
他にもありますが、先生の手に全ての編集権がありますし、これまでも何度も「読者としての意見・質問」を申し上げてまいりましたが、一切のご回答をいただいていないので、これ以上は申し上げないようにいたします。「新聞とは編集権者の独白機関である」限り、私は、大変失礼な形ではありましたが、以前申し上げました「新聞ではない」という考えを変えるつもりはありません(「広報」「情宣」紙ではあると思います)。とくにヴィクトル・ユゴーの詩を「バリケードの上で」として引用された記事については是非ともお答えいただきたいのですが、叶わない望みと諦めております。「研究もジャーナリズムも、クリティークを忘れてしまっては何の進歩=クリエイティブもない」とは、梅根悟先生のご講義(一般教養「教育学」)の中で幾度も聞かされたフレーズでありました。
最後に、「3年後」「20万円」で「モンマルトルの丘」にいらっしゃるとか。皆様方の夢が叶いますことをお祈り申し上げます。

2005年8月22日
川口幸宏