生まれて初めてフランスエッセイを日本語に翻訳したこと(2000年6月)

日本の教育レポート
どうして青年期はハラキリをさせられるのか
アレクサンドル マンドリ 特派員
『マリアンヌ』誌 2000年6月19日から25日週 第165号

殺人、きちがいじみた振る舞い、絶望的な断絶、そして伝統・・・・
日本の若者たちは太陽の昇る帝国の権威者たちを心配させている。

<写真コラム>
順応主義の横暴
花巻農業高校には新学期の検査がある。誰かがハサミを手にして髪の毛の長さを統制する。学校制度の厳しさが青少年にますます挫折を余儀なくさせている。

<本文>
 非行を犯した青少年のための公共施設である武蔵野学院にはピクニックの日がある。武蔵野学院は東京の北部、埼玉県にある。日差しから守るために張られた雨よけの下で、その施設に収容されている30人ほどの青少年にお寿司とギョーザ(中身の入ったラヴィオリ)が配られた。若者たちと彼らの指導者との間で冗談と放言とがわき上がった。タロー14歳はすでに2回無断で抜け出し暴走族に戻ったことで知られている。マサオ15歳は6ヶ月前からこの施設にいる。このヒップ・ホップの謳い文句は、来年学校を終えたら大工の見習いとなるということだ。武蔵野学院に収容された青少年たちは、盗みや暴力行為を伴ったゆすりの繰り返しという、さまざまな違法行為を犯している。今回の会食の参加者たちは、家庭裁判所によって、数ヶ月間厳格な統率下に置かれた義務観察期間を終えている。しかし、ここには、尾錠の付いた共同寝室の壁もドアもない。広場、スポーツ施設、水田によって、学校は、他の56人のように、問題をよく起こす家族の子どもに正道に戻る気を起こさせるようだ。さらに、気がかりなのは、動機のない重犯罪の波が中流階級の青少年によって引き起こされていることである。不安の兆候はますます鋭くなっている:「自分の何かあるものを切る」ことを意味する、キレルという言葉は、要するに、日の昇る帝国の「野蛮性」の振る舞いを象徴しているのだ。

「さあ、お巡りの間抜け、おれを捕まえて見ろ」
事件に関する最新の三面記事:17歳の少年の要求の接触、バスの行き先の変更を望んだ。その上、包丁で!軽犯罪者は、まず、6歳の女の子を脅かし、次に68歳の乗客を恐怖に陥れた。その乗客はのどを突かれ、死亡した。凶暴な若者を警察官が制御したのは数時間後のことである。その後、この殺人行為を説明するための心理解析に手間取った。学校では、少年は、いじめの標的であったようである。優秀な生徒であり、同級生に2階から飛び降りるように強いられたとき、ひどくけがをしている。このような仕打ちを受けた後、彼は中学校(コレージュ)に通うことをきっぱりと拒絶するようになり、何年もの間自宅にとどまったままであった。彼の暴力的欲動、すなわち家庭で次第に手がつけられなくなっていく行動に当惑して、両親は、彼を精神科病院にやった。後に、その少年は、その時自らを「見捨てられた」と感じたと言っているし、精神病院から出て後、取り返しがつかないことを犯したのである。
九州の人質の引受人<注:ここでは警察のこと>はジャーナリズムの一部を次第ににぎわしつつあった精神異常者のリストを増やしたばかりであった。バス事件の数日前には、別の17歳の若者が、ドアが半開きになっていた一軒の家に侵入し、その上金槌で居住する老女を殺した。同じく優秀な生徒であり、犯行の朝、高校へ行くふりをして出かけた。昼間に意志に基づいて殺人を犯す決意をしっかりとしている。後に彼は、一つの「経験」を体験することが彼にとって重要であったと、語っている。数週間前には、興奮を募らせていた一人の中学生が、ある学校の出口で、ナイフの一つきで、一人の一年生を黙らせた。「学校システム」に復讐をするためである。昨年7月には、ナイフで武装しフライト・シミュレーション・ゲームに夢中になった一人の若者が、ボーイング747のコックビットに侵入した。そして彼は、スチュワードに装置を離れるように命じ、パイロットと共に閉じこもった。後者を致命的に突いた後で、彼は確固たる目的・・・東京湾の吊り橋をくぐる・・・を持って操作を始める。副操縦士たちが飛行機のコントロールをようやく取り戻すことで、大惨事はぎりぎりのところで避けられた。さらに、1997年には、ある社会的事件がよりいっそうすさまじく、日本を身動きできなくさせた。数日、匿名の手紙で警察と新聞社に平然と立ち向かった後で、14歳の少年が2人を殺害した犯人であることを自供した。ある公園で、彼は、一人の少女を短刀で刺し殺し、11歳の子どもを殺害していたのだ。恐ろしく残酷にも、彼は学校の正門にその子どもの頭部を置いていた。さらに次のような数行の文章も残していた:「さあ、お巡りの間抜け、おれを捕まえて見ろ」
 この暗いリストはすべてをつくしているどころではない。1998年には、もっとも不安を抱かせる犯罪の32%が14−19歳によってひきおこされている。;それも、少なく見積もっても未成年者犯罪の184、000件のうち116件の殺人が報告されている。国はそれらを戦後の未成年者犯罪の第4の高揚であると認めている。絶対値では、80年代初頭をピークとして数値は減少している。というのは、人口が減っているからである。しかしこの犯罪熱の高ぶりは、とらえどころがないどころか、狂っている。「子どもたちは、今日、心理的に非常に不安定であるように思われます。戦後空腹があり、60−70年代の激しい大混乱がありました。当時は、暴力は権威の象徴へ向けられていました。それ以降、私には若者たちが大人と分かりあうことがないように思われます。彼らは自分の不安感を表現することがなんともできなくて、それがより弱い者に対する暴力行動となって現れるのです。」と、武蔵野学園所長であるタカヨシ・スエトモは考えている。

「大人たちは無理矢理押しつけてくる。今、それがつまらない。」
 確かに、日本は必ずしも、今日、青少年犯罪の明かな増大を知るただ一つの国ではない。しかし、未成年者犯罪と一般犯罪の累積は他の産業国家よりはるかに多い。この国では、景気後退あるいは移民や郊外、ドラッグの問題が大きな規模で持続しているにもかかわらず、明らかな社会的危機を告発することができかねているようなのだ。否、ニッポンの若者の不道徳はもっと広がっている。「それらの犯罪は、はっきりとした動機も目的もなく、経済的繁栄の終わりの90年代初頭から現れてきている。あえて単純化すれば、誰もが社会変化の影響であるととらえている。日本の伝統的な文化の基盤にある人間関係が、社会がマニュアル的になり、ますます競争がすすむ間に、かすんでしまった。その影響は若者たちに対してより強力である。」と大谷大学の犯罪社会学教授であるミツユキ・マニワは概括している。彼は、熱狂的に順応主義的な社会のしっぺ返しばかりか、バブルの崩壊によって中断されたけれども、半世紀にわたる物質主義の蓄積によって加えられた病弊を必然と見ているのかもしれない。さらに、このような状況にはまり込んでしまって、いかに似非民主主義であろうとも、40年間、本当の政治交代は決して認められていない。
 チェックのワイシャツ、メッシュの長髪、フレームのないめがね姿の、19歳、ヒロシ・ワタナベは、一人の元女性教師によって1985年に設立された日本の自由な学校である、東京シューレのメンバーである。「50年前から大人によってきちんと整えられたシステムと若い世代との間にはまったく隔たりがある、ということだとぼくは思う。それは、そもそも、自分たちのルールを無理やり押しつける大人と、今、それを壊すこととの隔たり以上だ。」ヒロシは自分が話していることが分かっている。10歳という年代に−そして4年半−彼は学校へ行くことを拒まれ、両親のもとにとどまらされたのだ。

1歳から3歳の子どものための予備校
 ヒキコモリの名で知られる、長引く欠席の現象が、日本では、深刻な規模になっている。関係する子どもが学籍簿に登録され続けることで、15歳までの就学義務は打撃を受けている。「ぼくは、大人によって考えられたそのシステムにアレルギーになった。まだそのシステムは続いている。ぼくはいじめの犠牲者になったことはない。しかし、そこには、ぼくが我慢のならないそのシステムの競争と"君たちに不十分な勉強を思い出されるために"と学級に張り出された試験の結果がある。父はぼくになぜ授業に出ないのかと求めるだけだ。ぼくは自分の考えをうまく説明できない。母がぼくを夜、サッカーに連れて行った時を除いては、ぼくは外出したことがなかった。」
 ある日、ヒロシはラジオで東京シューレについて話すのを聞いた。彼は両親にそこに登録することを話した。それは新発見である!彼は不意に、生徒が自主管理を実践するサマーヒルの一つのニッポン版を見つけだした。彼は晴れやかになり、社会生活を取り戻すと共に、それ以来、自由な学校の国際的運動に積極的に関与してきている。東京シューレの創設者であるケイコ・オクチによれば、欠席の増加、学校の暴力、ますます増加する新入生いじめのケースはどれも同じ程度に、集中する徴候をなしている。それについて彼女は明確に次のように言う。「それは、子どもをよい大学へ入れ、それからよい会社に入れるという両親の妄想がますます強まっていることの、反動なのです。この現象は増大しているばかりか危機的でもあります。それがもうこれ以上学校では動作しなくなるとき、家庭に追いつめるのです。理解しようとしない両親は、自分の子どもの挫折が恥ずかしいのです。家庭が、心地よいと感じることのできる場所ではない、ということです。子どもたちは逃げ道を探し、多くの場合暴力的になります。」試験地獄は4歳で始まるのかもしれない:よい大学に付属する学校機関に先に入っている場合は、その大学に入るのがより易しいのである。あるジュク−それは恒常的に通う予備校なのだが−は、どうしても入れたい幼稚園に確実に合格させるために、1歳から3歳の子どもを受け入れている!小学生の60%以上が、高く評価された中学校か高校に合格するために、予備校に通っている。
 ある観察者によれば、若者の不安や教育システムの内爆は、戦後築かれた社会モデルの摩耗を映し出している。経済危機は社会と政治的階級の不正をこの上なく暴き出し、労働観や企業への忠誠を揺らがしている。それは異論のないところだ。たとえば、オウム宗派の事件は、自分からすすんですることができないような能力のもろさと無力さとを暴露している。一連のスキャンダルは少数の権力者に服従した警察の仮面を剥いだ。さらにひどいことには、不正、暴力、麻薬の、黒ずんだいくつものケースの暴露がなされている。 政治支配の終わり(国会議員選挙が6月25日にある)を包む雰囲気は現実離れしている:5月はじめに死去したケイゾ・オブチにとって代わったモリ首相は、日本を「神によって選ばれ、集団および天皇を構成する国家」と褒め称えることをよいと信じている。深淵にいるノンポリ、ニッポンの若者たちは湯治中ではない。極端に気まぐれが押し出されているところの辛辣なサブカルチャー−ミュージック、モード、テレビゲーム、漫画−によって作られた仲間内だけで、誰もその中に入れない若者の多数は、オタクという群である。つまり、若者が自分の熱中の対象の中に「閉じこもる」のである。流行の服装のコードは啓発的である。:カラーレンズ(サングラス)、ブロンドに染められた髪、つけまつげ、および不自然な爪、赤外線で焼いた皮膚、20センチ以上の厚さのある靴を履いた脚、つまり社会の拘束を逃れたロリータであるコギャル、は、単なる見せかけのコラージュである。:社会学者シンジ・ミヤダイによれば、彼女たちは、大人に、一つの「ウソの社会」をデフォルメしたイメージを返そうとしていることでしかないのだ。

訳注:
「マリアンヌ」というのはフランスの愛称(別称)。日本に喩えていえば「大和の国」というようなもの。本誌は比較的硬派の雑誌であり、かなり知的レベルの高い人たちに愛読されている。それだけに、フランスの文化的特徴=美しいフランス語、機知に富んだユーモア、鋭い批判、そしていうまでもなくリアリティ=を備えている雑誌である。われわれからみると「ハラキリ」だの「日の昇る帝国」だの「野蛮性」だのと、ドキッとさせられる表現があるが、我が身を振り返ってみると、必ずしも、アナクロニズムの表現ではないのではないかと思う。