たった一回限りの授業−2013年度学習院大学文学部教育学科「教育入門演習」

 2013年度から学習院大学文学部教育学科が開設された。主として小学校教員を養成することを目的としている。私は同年末で定年退職の立場にあるので、設置にあたる準備過程で関わりはしたものの、開設されるとほとんど関わりを持つことがなかった。ただ、「教育入門演習」という授業で、学生クラス人員の1/3を対象に、一回だけレクチャーをする機会に恵まれた。
 私が図面設計をした模擬授業室に、配布教材を抱えて、足を運ぶ。初めての顔合わせが最後となる学生諸君の前で少々緊張をしながら、出席を取る。教室がうまく機能しているかどうかの感触を掴みながらである。廊下と教室との境の壁にはガラスが塡めこんであり廊下側から授業観察ができるようにしたのだが、教室内から外は見えない半透明ガラスを入れるように指示したはずだが、廊下の様子がすっかり分かってしまう。教室内での学習に気が散ってしまう学生が何人かいた。これは失敗だな,設計が、ではなく。どうやって学習に集中させようか。
 抱え持って行った配布教材は、A4判の写真であった。フランス・フレネ学校で取材したものである。全員に異なる写真が手に渡ったところを見計らって、「今日の学習教材は学生の皆さん方お一人お一人です。教師であるぼくは単なるコーディネータにしか過ぎません。お手元にあるシラバスはあくまでも参考であって縛られるものではありません。また板書は一切しません。」という言葉と、若干の自己紹介を添えて、「授業」に入った。
 「今手元にある写真をよく見て下さい。どのような印象をお持ちでしょうか。それを言葉化してもらいます。それが他の人にとっての学習材となります。いわゆる正解はありませんね。でも、正解がないからと言って無視することができるでしょうか。お一人お一人の実在を証明する大切な存在ですね。教育という営みが常に正解探しだけであれば、その正解とされる解に服従させられるだけですし、解の奴隷でしかありません。皆さん方が教師になるとして、そういう奴隷を生み出すだけの仕事に生涯をかけるなんて、じつにつまらないと思いませんか。
 お一人お一人が、主人公であるあかしとして、今日は教材=学習材を務めることになります。手もとの写真をストーリー化して下さい。そしてそれを口頭で発表して下さい。」
 教室場面であることがだいたい分かる写真。結局彼らは、自身のこれまでの教育を受けた経験で写真を理解しようとする。異文化に接しながら異文化として理解することはないのだ。そういう事実を知った彼らは、授業の最後に,次のような簡単な感想を書いた。

「フレネ学校で行われている教育は、私たちの予想とはかけ離れたもので驚きました。生徒を主体とした「学び」の時間は、日本の教育に欠けている要素だと思ったので、今後改善していく必要があると思う。フレネのような生徒主体の教育を取り入れつつ、自主性を持った子どもたちが育つ援助をしたいと思った。」

「自分の弟は不登校だ。主体性を持つという話を本日いただいたが、これは、弟の方が兄の自分よりもよほど主体性を持っているということではないだろうか。弟の学校に行かない理由ははっきりしないが、もう一度、彼と話をきちんとしなくてはならないかもしれない。弟の不登校改善に繋がるヒントをいただいたような気がします。ありがとうございました。」

「今日の授業を聞いてみて、やはり、子どもたち自身が自主性を持って学ぶ方法を自分もやりたいと思った。そのためには自分自身がブレないものを持つことが大切だと思ったし、自主的に行動を起こさせるようにしていきたいと思う。」

「将来、教員を目指すにあたって、とてもためになる話、参考になる話を聞かせてもらった。フランスのフレネ学校での話は驚くことが多く、カリキュラムに教科名をつけた時間が存在しないなどの話を聞かせてもらい、最新の外国の教育を自分の教育に活かしていきたいと思った。」

「最初は、“写真を見てストーリーを考える”という課題の意図を汲みとることができず、思うがままにみたものを発表しただけになってしまったけれど、皆の発表と先生の解説を聞いてみたら、全てがつながっていて驚きましたし、フレネ学校の教育方針に興味を持てました。
“主体性”のはなしをきくと、自分はもともと優柔不断で人に流されがちだから、少しドキッとしました。今日気づけたことを今後の授業や実習で生かしていきたいと思いました。」

「今日、川口先生の授業を受けて、世界にはこんな学校があるのかとびっくりしました。木登りで成長の度合いを子どもたち自身で計っていることや、子どもたち自身で授業をつくり、自主性に富んでいる学校は、日本にはほとんど無いと思うので、学び合いの姿勢を頭に置いて、教師になるための準備をしていきたいと思います。
 また、2週間単位で学習計画を立て、それを集団で確認し合うということに、とても共感のようなものを覚えました。自分が中学・高校の時は、試験前にやりましたが、自己満足のようなものになってしまっていたので、発表するという形式はすごく斬新だと思いました。」

「最初の写真を見た時、フランス語の文章が写ってて、“何、これ!?”って思ったけど、なんか、また集められて、別の写真が来るんだと安心しきっていて、新しい写真の方に楽であることを祈ったけれども、また来た写真も、イミがわからず、状況がまったく掴めず、かなり手間取った。結局、テキトーな発表になってしまって、申し訳ありませんでした。」

「今回の授業で「自由研究」が印象に残った。
 最初に写真を見た時は、親が子供と一緒に授業を受ける授業参観だと思ったので、仏では授業参観がないこと、また、親子で自由研究をし、一緒に発表するシステムがあることに、驚いた。日本では、子供に出された自由研究を親が隠れて代わりに書いたり、手伝ったりしているのに比べ、最初から、親子で取り組みという形にすることで、子供は堂々と親を頼ることができ、また、家族のコミュニケーションの機会にもすることができると感じた。」

「フレネ学校は、私の知る「学校」と全然違うものだったので、とても驚きました。私は、私の経験から、教科名は当然あるものだと思っていたし。
 自由学習というものは存在しないと思っていました。大学に来てから、教育に関して知らなかったことをたくさん知っていくことができています。自分が経験したことを当たり前と思わず、多くのことを学び、活かしていけるようにしたいです。また、今回初めて、写真にスト−リーをつける授業をやりました。想像力が乏しいと思ったので、もっといろいろ考えられるようになりたいと思いました。」

「私も正直不満でした。
 レジメの内容や黒板の板書の不十分さに関してです。これは、今までの教育形態・・・受け身の姿勢に慣れてしまったため、先生の声よりも、レジュメや板書に頼ってしまう習慣がついてしまったのが原因だと、改めて実感しました。
 今日限りの川口教授の講義におけるメッセージ・・・。特に、活字ではなく音声言語の重要性についての言及は、今後の教育学科での生活で必ず生きると思いますし、ぜひ生かしたいと思います。」

「ルールは破られるためにあるということが印象に残った。自分で積極的に行動して縛られた規則を変えていきたい。活字からの情報が常識化してしまって、他の方法からの情報を軽視してしまっている今、何を選択していくかが重要になると思った。周りに流されず、自分を持つことの大切さも改めて感じた。教師の能力不足による子どもへの対処が深刻な問題だと思った。」

「写真からその場の情景を考えるのが思ったより難しかった。
 先生には活字ではなく、会話の技術が求められるので、前で話すのが苦手なのを克服する必要があると思った。
自分は、今の時点で「自分」というものがまだはっきりつかめていないので、この4年間で「自分」を育てて自信を持って社会に出て行けるようになりたい。」

「写真を見て自分でストーリーを考えるという授業は今回が初めてだった。普段のような、一方的に先生の話を聞くという授業だけでなく、自分で考えて発表するという授業は、生徒の想像力を養うという点で必要なことだと思った。また、自分自身にとっても、人の前に立って説明するという経験は、将来教師を目指す人には特に、必要であると思った。」

「今日は、今まで受けたことの無い授業だったので、新鮮だったのと、人それぞれの想像があって、聞いていて楽しかったです。高校までは、黒板を写して、それを暗記すればテストで良い点も取れたので、「受け身」で学習していたんだと思いました。でも、今、この学科に入って、自分で主体的に動く必要性や、教師は「方向づけ」をするものだと改めて感じました。また、「活字」より「音声」という話を聞いて、今まで活字に頼っていたことを思い出したのと同時に、確かに大学では、自分でメモを取ることが多いと思いました。その代わり、昔より授業をしっかりと聞くようになった気がします。今日、川口先生の授業で、改めて考えることが多くあり、授業を受けられてよかったです。」

「フレネ学校という存在を今日初めて知りました。日本の学校とはまったく違うカリキュラムであるということに驚きましたが、もっとも驚き、印象深かったことはウサギの話でした。自分がペットとして育てかわいがり、共に成長していったであろうウサギを、食料にして食べる、そのことに対して「別れはさみしいけれど、生きるために私は食べます」と言った、そう言えるような女の子になるような教育とはどんなものなのか、ますます興味がわいてきました。今日は本当にすばらしい講義をありがとうございました。」

「今日の絵を見ながら、発表をすることで、いつもとは違う友人たちの、新しい物の見方を獲得できた気がしました。普段は人の価値観など考えもせず話をしますが、このような機会があると、新しい一面を見受けられます。また、グループになって、この写真はどうだったか、など隣同士で意見の交換、議論をすることもしてみたいと思いました。
 私も“学び合い”をこの大学で4年間、まず経験を精一杯学び、感じることで、教師になった時の糧になればいいなと感じています。1対大勢のような授業ではなく、新しい形の授業を実践できるようになりたいです。
*私の3歳のいとこも耳が聞こえないので、一時期、難聴について調べました。」

「とても興味深い授業内容でした。最初、1枚の写真を渡されて、ストーリーを考えてと言われたときは、少し戸惑いましたが、自分で考えたストーリーが、自然に日本的なものになっていることに、驚きました。また、このフレネ学校の教育は、日本の固定されている授業と大分違うもので、新鮮でした。日本にはない、自分のやりたいことをやる授業というのは聞いて驚きました。主体性を大切にしているんだと思いました。「苦手なことはあるが嫌ではない」というのには感心しました。先生は主体では無く、サポート役、というのは、とても大切だし、その考えはすごいと思うけど、難しいと思いました。」