パリ・コミューン資料館 開設

 大仏次郎パリ燃ゆ』やマルクスの『フランスの内乱』等で知られる1871年パリ・コミューンの絵画・写真等資料を本プログに開示します。
第1資料は BERTALL, Les Communeux 1871 ― Types – Caractères – Costumes, E. Plon et Cie, Imprimeurs – Éditeurs, Paris, 1871.パリ・コミューン戯画集とでもしておこう。
 編者BERTALLは間違いなく悪意をもって原題(書名)を付けている。1871年の歴史的な事件パリ・コミューンに主体的に参加した人たちの社会的立場、性格、衣装を絵で表象したこの書物の性格は、communeux(コミュノー:複数、だがおそらくは造語)という言葉に端的に示されている。通常、パリ・コミューンに参加した人のことをcommunard(コミュナル:単数)と言うが、パリ・コミューンとは、パリを、完全自治権を有する地方共同体として自立することを願って蜂起された事件のことである。この地方共同体commune(コミュヌ)の形容詞形communalが変化し名詞形communaux(コミュノー :複数)を作る。communauxは「公共牧場の家畜の群れ」という意味を持つ。つまり、パリ・コミューン参加者は自治都市を宣言したパリという公共牧場でそのパリに飼い慣らされた家畜である、という侮蔑的な意味を表題に示したわけである。 
 編者BERTALLは同書まえがきを次のように綴っている。
「本画集は想像や空想になるものではない。
 私は、ラ・コミューン統治下のパリにあっても決してパリから脱出せず、『ル・ソアール』という新聞の編集に携わっていたが、相次いで三度も刊行停止命令を受けた。また、私は、『グレロ』という新聞の編集に携わりまた挿絵画家でもあった。『グレロ』は当時刊行されていたただ一紙の風刺新聞であり、それはパリ・コミューン終焉の時まで発行し続けている。そのため、予想だにできなかった人間類型、奇妙かつ風変わりな風貌、綬、飾り紐、羽根飾りなど、常軌を逸したこれらの身なりが、私の視界に収まり、目の前を次々と通り過ぎていく。役者たち下っ端も、この風変わりで血にまみれたこの演劇でそれぞれが役柄を演じていた。演目は悲劇でのケンカ。
 今はいない人間類型つまり物陰や夜陰に紛れて演じた役者たち、塵芥になってしまった衣装、もう見ることが出来ない羽根飾り、その色、その風貌、その性格を再現しようと試みた。それらは今日ではまったくお目にかかることができないのである。
 私たちが実際に経験した歴史のささやかな側面でしかないが、それを見直すことは、興味深いことであろうと思う。
 他に取り柄といえば、本書が誠実さを欠いていないということぐらいなものである。
                                            ブルタル
                                       パリ、1871年7月。」

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http://www-cc.gakushuin.ac.jp/~920061/commune/image006.png
(戦闘で破壊された光景)