戦前生活綴方教育史研究の窓6 教科書論

 セレスタン・フレネが言った「もう教科書はいらない」ということを、日本の場合で考えてみたいと思います。

 教科書は言うまでもなく、国家の教育制度のもとで学校において教師を媒介として子どもに対して使用される教育材です。学生たちが、その教育材の作成者を、よく、「大人」という言葉を使っていますけれど、「大人」という一般概念で説明するのはいかがなものかと、前々から考えていました。国家教育政策のもとで明確な教育目的および教育課程が示され、その教育目的・教育課程を理解し身に体した科学・文化(道徳、芸術、体育等を含む)の専門家(これが学生たちの言う「大人」の意味ですね。むしろ、意味内容としては、「国家」が「小国民(ないしは、小臣民)」に与える、という文脈に変える必要があるように思います)による著述を基とし、国家が最終的に教育目的実現のためにふさわしいと認定し、日本の場合は、多くの国家財政を使って出版社に印刷・製本を委託し買い上げ、子どもたちに無償で(注:法的には義務教育でも授業料を取ることになっていましたが、国民教育を急速に拡げるため、実質無料となっていました)配布されるものが、「教科書」という出版文化財であり、法的には、比較選択の余地のない絶対使用義務が課せられていました(わが国の場合は、国定教科書、でしたから)。このような状況のもとで「もう、教科書はいらない」などと言うものならば、その発言者は、教師であれば馘首、それ以外の人であるならば「思想問題」(治安維持法、治安警察法)で対処される可能性がはなはだ大きかったわけです。
 では、教科書否定ではなく批判ならばどうなのか。『綴方生活』誌編集部が「国定教科書に対する感想」を各界名士に問うたところ、「根本的に国定教科書を批判するとすれば、貴誌発禁の怖れが当然でしょう」(前田河広一郎)との回答が寄せられています(同誌第3巻3月号)。こうした教科書を「制度知」と呼びます。制度知は国家から見れば絶対的なものであるわけです。フランスでは、フレネの時代における「教科書」は、どのような性格を持っていたのでしょうか。

 フレネは「もう、教科書はいらない」と言い、実際に教科書不使用の立場を取っています。つまり「制度知」を否定しているわけですが、では、子どもが育っていく上で必要な「知」を彼はどのように保障しようとしたのでしょうか。一足飛びに「子ども自身が生み出す知」の方法、即ち「書くことによる教育」を考えていますが、その前に少し立ち止まってみる必要があるように思います。それは、フレネが、子どもの学習権保障の立場から、「現代社会の文化がすべて子どもの学習材である」旨のことを述べていることに繋がります。制度知は「現代社会の文化のなかから国家が必要とみなした知」であるわけですから、とうてい制度知は「現代社会の文化すべて」であり得ません。「現代社会の文化すべて」が学習のために整理された知を「社会知」と呼ぶことにします(この際、「整理」する主体は何・誰なのか考える必要があります)。そしてそのための学習材の開発に努めていることはよく知られているところです。BT、学習カード、学校間通信、「地域」観察・学習など。「社会知」は「大人」対「子ども」という対立軸からは成立しない、ということは押さえておきたいものです。
 この点で、わが国の生活綴方の場合、「制度知」と「社会知」とは、どのような構造を以て子どもの学習材となり得たのでしょうか。このことは次号以降で考えてみたいと思います。

 その前に、絶対不可侵であった「制度知」に対して、生活綴方人は、どのような捉え方をしていたのか、『綴方生活』誌第3年3月号(1931年3月号)から拾ってみることにします。
 
同誌巻頭言「教科書をどう見るか?」は次のようになっています。

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国定教科書をどう見るか?

一部の偏狭なる教師は、これを絶対的のものと見る。

だが、時世の進運に伴って改訂さるべき国定教科書は、絶対的のものではない。

われわれは先ず、この教科書絶対主義、教科書万能主義を捨てなければならない。

教科書は、筆墨、紙、鉛筆と同様に、学習の一材料に過ぎない。その筆を如何に扱うか、その教科書を如何に扱うかは、児童並びに教師の意図にあらねばならない。

かくしてこそ、そこにはじめて真に時代的意義を持つ教科書の取り扱いが可能であろう。

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 絶対的制度知の位置に対して批判的であるこの巻頭言こそ、この時代における教科書の教育現場に於ける取り扱いの諸事実を簡潔にまとめたものです。フレネのように「もう、教科書はいらない」とは言っていないけれども、恐らくそこに行きつくと同様の諸実践もあったことが推測されます。この当時、意外にも、国定教科書批判は理論的にも実践的にも出されていました(国家主義者からは国家主義的な、軍国主義者からは軍国主義的な、文芸主義者からは文芸主義的な・・・。まさにさまざまな立場から批判が出されていた、と理解して下さい)。しかし、「国定教科書不要」論は出されていません。これは、欽定憲法教育勅語体制下にあったことと無関係ではなかったからです。臣民教育の根本指針は教育勅語に示されています。具体は各学校令などに示されています。教育勅語は現人神である天皇が臣民に対して直接語る形式を取っており、批判はもとより許されません。絶対的な存在です。公教育は臣民形成の場であり、内容であり、方法です。教科書はそのための道具です。制度理論から言えば、批判・否定など許されるものではない、「天皇陛下のありがたいお言葉集」とさえみなされていたのです。「教科書はいらない」ということは、勅語体制を直接批判することにあたりますから、実質・実態はどうであれ、「教科書はいらない」とは口が裂けても言えなかったと思います。もちろん、そういうことばかりではなく、「学校」を「知の伝達・訓練の場」とするスコラスティックな考え方にとらわれていた人が生活綴方人の中にも少なからずいた、とは指摘しておかなければなりません(例:長崎の近藤益雄)。

 さて、「制度知」を綴方人はどう見ていたのか。同誌所載の上田庄三郎「権威はすでに転落した」に見てみましょう。(挿入語り:西尾や西部などの「新しい教科書」運動に対する批判として、そのまま使えそうに思える内容です)

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(前略)

 教師から児童から父兄から、大衆から、すべてにわたって批判され軽視されてゆくのが、現代の国定教科書である。

六 教科書への非難

 ではいかなる点から非難されているか。

1.国家主義軍国主義、封建主義に対して、時代遅れである。

2.帝国主義的、資本主義的、富国強兵主義に偏している。

3.自国万能主義、偏狭なる愛国主義に陥り、国際協調の精神に反する。

4.デモクラシーの精神に反する。

5.日本の文化史において上流特権階級の勢権の争奪を主とし一般国民生活の記録が無く、権勢力が貴族から武士、武士からへい平民へと移行した点を故意に閑却している。

6.修身において封建時代の極端なる服従の階級道徳を強制している。

7.あまりに教訓的概念的であって、子どもをトリックで弄ぼうとしている。

8.すべて教材が実社会的でない。

9.子どもの心理を無視して、無興味である。

10.材料がずさんで不統一である。

11.地域的に画一されているため真の研究が出来ない。

12.非農村的都会的であって、農村材料さえ東京のため、都会のためである。

13.残忍殺伐な戦争の絵が多い。

14.印刷が不良である。

15.挿画に間違いが多い。

16.表現が非芸術的で綴方教育を阻害する。

17.用語が不統一である。

18.事実内容がずさんである。

19.配給組織が資本家本位で児童の権利を考えていない等。

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 こうした教科書批判認識が教育現場ではどのように実践されていたのでしょうか。同号野村芳兵衛「教授に於ける教科書の位置」で、1.教科書を原則として一律に子どもを訓練する。2.教科書を教育の資料として、批判的に取り扱う。3.教科書を逆用する。の三類型が指摘されています。1.と3.はまさに対極にあるもので、3は「制度知の組み替えによって新たな制度知を作り出し、知的・伝達の訓練をする」と特徴づけることが出来ます。現在に擬して言えば、1.が現行の教科書制度、3.が「新しい歴史・公民教科書」運動であり、3.が一定の「成果」を納めていることはご承知の通りです。
 さて、2.について、少々検討しなければなりません。「教科書を教育の資料として、批判的に取り扱う」という時の、「教育の資料」「批判的」の意味内容とその事実はどのようなものなのでしょうか。「資料」とあるからには絶対的な位置にあるわけではありません。つまり、子どもの教育・学習上必要な教育・学習材は「教科書」以外にもある、ということになります。具体的には、副読本、郷土資料など「制度知」を補完する資料や子ども向け雑誌・単行本などの「社会知」資料、そして子ども自身の手になる「作文」「文集」など(これは、「制度知」であったり「社会知」であったりします。綴方人にも、「制度知」に傾く者<近藤益雄など>、「社会知」に傾く者<寒川道夫など>と、傾向を分けることが出来ます)。「批判的」ということは、まさに「資料」の実践上の取り扱い方に関わってきます。「制度知」の「補完」であれ、「社会知」の提供であれ、それ自体を批判的行為とみなすことが可能でしょう。

 この項の最後に、前出の野村論文の末尾を紹介しておきます。「制度知」であろうと「社会知」であろうと、それらによって「批判的」な教育実践を行うにしても、伝達・訓練を主体とするならば、それはスコラスティックであることに、何ら代わりはありません。このことに対し、野村は、次のように異議申し立てをしています。大変傾聴すべき内容が含まれています。

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 最後に、教科書の文化史的又は科学的取り扱いをなす場合において、私は一つの方法を紹介しておきたい。

 それは教科書を取り扱う場合には、出来るだけ、子どもたち自身に、先ず、お互いの信ずるままを論じさせ、実証させていって努めて、教師の断定を早くしないということである。というよりも、ほとんど教師の断定はいらないと言ってもいいぐらいである。

 子どもたちは必ず、色々の立場に立つ、そしてそれらの立場は、必ず事実による証明によって、一般的妥当性にまで、必ず到達するものである。

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