戦前生活綴方教育史研究の窓5 文集論

 今日の通信は「文集」についてです。生活綴方にせよ、ホール・ランゲージにせよ、フレネ教育法にせよ、子ども集団の文化財「文集」が高い位置を占めています。ぼくは、解釈として、「文集」を「教科書」に代わる教育材・学習材だと位置づけ、「学習者中心」の教育法の重要な意味付与をしてきました。残念ながら、現実には、「文集」を教育材・学習材として取り扱っている教室場面を見ることができません。しかし、戦前生活綴方の中では、小砂丘忠義が「文集」をあらゆる教科の教材となったことを自らの体験記の中で書いている他、秋田の鈴木正之が文集「豆」を「読んで、読んで、生活を勉強しよう」と述べていたりしていることで、「文集」が学習材・教育材として利活用されていたことを推測することが出来ます。果たして、フレネ教育法ではこの点、どうなのでしょう。フレネはどのように書いているのでしょうか。生活綴り方との接点・交点を見つけるためにも、このことを是非、調べたいものです。

 ところで、戦前生活綴り方において「文集」に対する「指針」のようなものがあるのでしょうか。雑誌『綴方生活』は、何度も文集を特集にしていますが、第3巻2月号(昭和6年=1931年2月号)の巻頭言「文集の役割は何か?」は、少々下品な言葉遣いもありますが、趣旨明快、恐らく、生活綴方実践を目指す教師たちの「指針」となったことと思われます。以下に引用しておきます。
 
***
 
文集の役割は何か?
 
 綴方教育において文集がはなはだ重要な役割を持っていることは言うまでもない。

 しかしながら、文集の持つ役割が何であるかについては、一応再検討を必要とする。

 それは決して児童及び教師の玩具であってはならない。

 それは決して美しく妙なる魂の創作品として鑑賞されるのみでは物足りない。

 共同製作品として、それが綴方教育の最後のものだと考えられてはならない。

 文集は児童の生活の旗である。それは事実的な日々の生活行動指針の上にはっきり結びつけられた、必死的なものでなければならない。そしてそれは、生活の記録、生活の記念という意味以外に、刻々と批判され、別々の効果の後に刻々にかなぐり捨てられていくところの飯と糞との関係を思わせるものでなければならない。
 
***
 
 これを教育実践としてどのように進めていくか。それこそが方教師の創造性であったのでしょう。

 しばらく、文集と教育実践について、考えてみる必要があるように思われます。とりわけ、「文集」製作に子どもがどのように関わるのか、関わらないのか、そのあたりについての情報がほしいのですが、同誌同号に掲載された小砂丘忠義「文集展望」に、具体的な事例が挙げられています。その事例について、次に引用しておきますが、小砂丘の立場は「子どもの手に委ねられるべきだ」というところにあります。フレネ教育法との接点を強く感じます。
 
+++(以下、引用)
 
 新潟県高田市東本町校5年生の手になる文集「青空」は面白いと思った(注:実践家は寒川道夫か?)。これに限らず、原稿募集、原紙きり、印刷、製本、すべて子どもの手になる文集はかなりあるようだ。文集を作ることも綴方の一つの作業とみなして、すっかりこどもの手で作り上げるようになりたいとぼくは思う。

 まだ初めてのことだから、謄写版の文字に慣れていない点はあるようだが、なかなかよくできている。もう2、3号も出せばきっとよくなるだろう。全然子どもの手で作るのではないが、例えば宮崎県岡富校の木村君(注:木村寿)のやっている「日の光」は表紙絵から挿絵すべて子ども(2年生)の手になるものである。

 道具さえ貸してやれば、子どもは自分らで編集会議を開き、原稿募集のポスターを作り、字を書く人、挿絵を描く人、製本する人というように手分けしてやっていく。ぼくももうずっと昔の話ではあるが、小学校にいた頃は毎月文集を作っていたことだ。するとそのうちに子どもたちが「ぼくらでやりたい」と言い出した。それはいいというのでやらしてみると、子どもたちは喜び勇んでたちまちのうちに作り上げたことがあった。第1号が出来ると、みんなで批評しあった。

 級中で、一番字がうまいと言われるA君が書いたのであったが、それがよく切れていなくって印刷が不鮮明だ。それについてみんなが、不思議そうにしていた時、A君は

 「おれの書き方が悪いんだ。今度はもっと力を入れて書こう。十分切れていないから、インキが裏へ出ないでこんなになるのだよ。」

とみんなに説明していた。みんなで、誤字を探したりしながら、いろいろな意見も出てきていい仕事だった。
 
+++
 
 あと付け加えて言いますと、小砂丘は「文集」を一つの本・雑誌としてみなしているということです。単に、校長の訓話や担任教師の講話、子どもの文章の寄せ集めではない。本や雑誌という文化財であるのならば、表紙、目次、内容本文、編集後記、奥付などが揃っていなければなりません。この点、形だけの「文集」に対する批判は強いものがあります。

 また、同誌同号所載の今井誉次郎「児童文集と印刷文化」はよりフレネ教育に近い考えを見出すことが出来る。「文集」製作を、謄写刷りの場合は子どもの手に委ねるべきであるし、ざまざまなところに配布するためには大量印刷が必要であり、その場合は活版印刷文化を利用すべきだという所論に引き続き、次のようにも言う。

「今日の工業において金属、電気、繊維、化学、土木等の工業と同様にはなはだ重要な位置にある出版業に対し児童に関心を持たせることははなはだ必要なことなのだ。」

 セレスタン・フレネの「学校印刷所」と生活綴方の「文集」活動。非常に近似性があり、この点、論文の中で節なり章なりを設けて論じる価値があると思います。
 
 次号は「教科書」論です。お楽しみに。