戦前生活綴方教育史研究の窓3 ジョン・デューイはいかに評価されたか 1

 今回は趣向を変えて、わが国に於けるジョン・デューイに関する一評価についてお伝えします。大正期に導入されたジョン・デューイの教育学は大きな影響力を持って教育界・思想界に浸透しました。
 それでは生活綴方では?小砂丘忠義「ジョン・デューイと優等生」は『綴方生活』誌第3巻第1号(昭和6=1931年1月号)に掲載されたものです。同稿の冒頭に「この頃池田種生君がやってきて・・・云々」とありますが、その池田種生が同誌同号に「ジヨン・デユウイは労農ロシアをどう見たか  山下徳治訳『ソヴエートロシア印象記』を読む」という論文を寄せています(pp.74-79)。池田という人は「新興教育研究所」というマルクス主義教育研究を行い啓蒙活動をする目的で設立された団体の責任者でした。上田庄三郎もメンバーに加わっています。ただし、加わったその日、反組織活動を行ったという理由で除名されてもいます。「新興教育研究所」は1930年代初頭のわが国の教育界に大きな影響を与えました。とりわけ長野県の教師が数多く組織され、権力によって大弾圧を受けています。「教員赤化事件」(昭和7年以降)として一大政治社会問題視され、その後の教育大弾圧へと繋がっていきます。池田種生には上田庄三郎について聞き取りのためにご自宅に伺ったことがあります。なお、山下徳治(森徳治)はマルクス主義者。国際教育会議(教育労働者インターナショナル)に参加しています。セレスタン・フレネが報告したあの会議です。

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ジヨン・デユウイは労農ロシアをどう見たか  山下徳治訳『ソヴエートロシア印象記』を読む
 
池田種生
 

 赤い国ロシア、謎の国ロシア−それはいろいろな意味で現在世界の人の注視の的となっている。アメリカを始め世界のあらゆる資本主義国が、深刻な不景気とそれにともなう失業苦もだえている時、ひとりソヴェートロシアのみが着々五ヶ年計画の歩武を進めつつあることは、もう否定することの出来ない事実として認められている。それが脅威の的となって或は赤い手がのびるとか、ロシアが一挙にして資本主義国を葬るために小麦のダンピングをやり出したなどというもっともらしい念の入ったデマゴーグさえ飛び出してきた。

 それでなくてさえ、どこかの国ではロシアを赤い赤いと恐れさして、貧窮と飢えとで身動きも出来ないロシアだといい、かの国で考えているようなことは一種の空想に過ぎないなどと盛んに言いふらしている所があり、いまだに社会主義をダカツの如く嫌い、精神主義の教育とは絶対に相入れないもののように思っている人が少なくない。殊に新教育を称えている程の人がそのたあいもない流言にのって、反動へ反動へと後ずさりしていることは笑止というも余りある次第である。

 かかる時に、ジョン、デュウイが書いた「ソヴェートロシア印象記」は非常に重要な役割を持っているものと言わねばならぬ。
 

 勿論ジョン、デュウイはご承知のように、ロシアの絶対的崇拝者でもなく、米国の有名な新教育家である。日本にも最近無類の反動振りを示して、俺の言うことは10年前から真理だなどと平気で言っている千葉命吉輩から、凡そ新教育を云々するほどの人で、ジョン、デュウイを口にしない人はないほどだ。そのジョン、デュウイがロシアに行って何を見たか。そこには日本の新教育家と称する人が「そんなことだったか」と驚くようなことばかりが記されている。教育の情熱に燃ゆる彼の目は曇っていなかった。すでに齢70になっても彼は真理を見ることに敏であった。そんじょそこらの彼の糟粕を嘗めている日本の新教育家などの思いもよらぬ所で、志垣寛などという新教育家ばりのロシア行と比べて見て、あまりに甚だしい相違に唖然たるものがあろう。それでは彼等がよく口にする日本独自の文化などもあやしいものである。

 そこで、ジョン、デュウイはソヴエートロシアに対する非常な感激と驚異から冒頭にこう言っている。

 「レニングラードを訪れた時、その時から私の受けた新しき印象は私の心に渦を巻いた。それ等の印象を整理することであった。それ故私は何となく茫然たる日を過ごした。」

 併し彼は共産主義者ではない。故に彼は無理にロシアを悪く言うものに対しても、それを無上に賛美するものにも甚だしい不満を感じている。そのことは私の偏見かも知らぬがと断り乍らも常に批評的立場をとっているが次の一節などはよく彼の心持を語るものであろう。

 「革命によって解放された力は、単に打ち続く事件を動かした人々の努力の反映ではなくましてそれらの人々の意見や希望の結晶ではないということを、どの歴史学徒でも学ぶべきことを私は今や悟った。ロシアに起こった出来事を理解せんとするに際し、この明白な歴史的真理を適用しなかったことに対する激情から私は自己の誤解の咎を他人に転嫁したかった。(革命を単に政治的、経済的なることとせず、寧ろ、心理的、道徳的なる事実、即ち生活の必要と可能性に対しての人々の態度に於ける革命と呼ぶことにより暗示され得るところの革命の根本事実に対して、彼等は私を全く無知のままに放置したのである。又、ボルシェビズムや共産主義についてのおきまりの講話や著作によって、私を誤った方向に導いた人々、党員、賛美者並びに批評家及び敵に対して憤懣を感じたのである)こうした事に対する反動から私は抑圧された勢力を解放する引金をひく力となった理論及び期待の重要性を安価に見積もる。」

と言っているのを見ても、資本主義国アメリカに育った彼が骨の髄まで滲みこんでいるブルジョア自由主義的観点から見てさえも驚異すべき多くのものを印象せしめたかが分かろう。
 
3 (以下次信第5号)