戦前生活綴方教育史研究の窓2 あるペスタロッチー観2

3 社会改革観

 ペスタロッチーの人間主義は、独尊孤立の個人主義ではなく、あくまで全体社会の有機的組織分子としてのみ個人を観る教育的立場であり、社会関係における人間的立場である。

 ペスタロッチーの、人間主義はひとり自ら潔とする人間主義ではなかった。この一点を見落とすものは、ペスタロッチーの一面を忘れたというよりも、その全部を見落としたものである。しかるにわが教育界には、いかにこの種の偏面観が多いことであろう。磨きの悪い平面鏡の前では、美人の顔も下手な印象派の画のような化物となってしまう。俗悪な常識的評価の中では、人間ペスタロッチーの偉猊も、台なしにされてしまう。わが教育学会におけるペスタロッチー研究の権威たる長田新博士は、最近書いた『ペスタロッチー』(岩波書店発行)の中に「社会改革の教育学」という一節を設けて、社会改革家としてのペスタロッチーへの現代的関心を説いたが、その結語としてこんな感想を述べている。

 「以上述べる点に依ってペスタロッチーが如何に社会改革に強い関心を抱いていたかは明らかである。然るにペスタロッチーを以て単なる一教育者若しくは教授法の一改革家として見ようとする近世教育史上の伝統は、この方面からのペスタロッチー研究を殆ど全く閑却していた。我々はペスタロッチーを先ず社会改革家として見て初めて彼の真意義を解することが出来るであろう。而も若し我々が狭義の教育思想家としてのペスタロッチーを解放して、如実に彼を研究するなら、社会改革家としてのペスタロッチーに就いて無尽蔵の宝庫を開くことが出来るであろう。」

 いま、長田博士の説くところに従って、ペスタロッチーの社会改革史ともいうべきものを挙げると、次の通りである。

1 洗うが如き赤貧の中に人となった彼の生立が、すでに社会改革への関心を培った。

2 ノイホフの貧民学校で50人もの乞食の子供を抱えて、耕作し製造し、児童の労働によって学校を維持しようと試みた。

3 彼の主著たる『リーンハルトとゲルトルート』(1781年)の中には多くの社会改革への卓見がある。例えば共有地や協会所有の不生産的な大地を分割して、各自の労働に基づく富源の開発を説き、十分の一税の撤廃、貯蓄銀行と感化院との設立、絞殺廃止の主張などに、彼の人間主義の社会観があらわれている。

4 「奢侈禁止法に就いて」(1781年)という論文では、法律による外的禁止が国民の奢侈を防ぐには、有害無益であることを説き、真の方法は教育によるべしと主張した。

5 彼が主宰発行した『瑞西週報』(1782年)は、筆の力による最善の社会改革運動であって、彼はその後、「農民に就いて」「立法と嬰児殺し」「フランス革命の原因について」「我が時代と我が祖国との純潔と真面目と雅量とに対して」などの論文を発表した。

 彼は教育のために教育家となった人ではなく、社会改革のために教育実践家となったのである。だから彼の教育的実践は社会改革への意志の全的表現である。教育家であるがために余儀なく、社会改革の方法を教育にとったのではない。社会改革の最善の方法として進んで教育、特に初等教育を選んだ。貧民の救済を政治と経済に置くよりも、人間永の教育に置く立場こそ、彼の思想的本拠である。人間の社会的改造と社会改造とは、彼においては一体であった。彼は人間本位の社会改革家である。人間の環境として社会改革を重要視し、学校を社会化しようとした。彼が教育の方法とした直観教授とは、人間の社会化の一方法である。彼は印刷術の進歩とともに「文字の虫」と化し去った人間を、その生命の郷土たる直観の世界に呼び戻そうとしたのである。直観教授の目的は、自然観察のみに止まらず、国民の「精神の独立」による社会の直観である。社会こそ最大の教育者である。まず社会を正視するための社会直観を重要なものとする彼の教育方法は、人間と環境との正しき関係を示したもので、教授法であると同時に人間の生活法である。

 かくのごとく彼の思想と実践との根底には、常に社会改革の意志がふかく潜んでいる。教育、特に初等教育のみが社会を再生させ貧民を救済する道であるという信念がある。

 およそ教育思想や実践の方法も、その国その時代の社会関係に依存して形成されるものであるから、社会と時代の如何を問わず、どこでも移植されるような教育思想のレヂーメードはあり得ない。偉大な思想や教育方法は、その時代その社会に、現実的効力のあるもので、その時代と社会機構の現実から形成されるものである故にこそ効果的である。従ってわれわれが歴史的教師に学ぶべきものは、独立せる教育思想の大系よりも、その教育思想はいかなる時代のいかなる社会関係から生成したものであるかが重点となる。
 
4 貧民体験と貧民直観

 ペスタロッチーは、18世紀の欧州を風靡した啓蒙思想に影響されたことはいうまでもないが、彼の教育思想はやはり彼の社会直観から具体化されたものである。彼は「ヨーロッパの多数の民衆を去勢しつつある学校の害毒をただ糊塗とするだけではなくて、それを根本から救おうとする衝動が私の心の裡に起こって来た」と述べているが、教育の動機は彼にあっては自分の思想を宣伝するためでもなく、自分の生活の資を得る手段でもなかった。それどころか、彼は貧民学校経営のために無一物となり「私は乞食のような子供を人間のように生活する道を教えようとして、私自身が乞食のような生活をした。」と述懐したような、あの30年にわたるどん底生活に陥っているのである。彼が最大の傑作である『リーンハルトとゲルトルート』とは、彼が極貧の体験と燃ゆる児童愛との結晶である。貧民ペスタロッチーの書いた児童への福音書である。自己のためではなくて社会のため、社会革命のための教育が彼の願望であった。産業革命に対する文化革命が、彼の教育行動の指導原理であった。

 彼の教育は貧民直観と貧民体験から生まれた。再び彼の言葉を味読してみよう。「私が貧児の家と一緒にその貧乏は如何したならば癒るかということを明かにしない間は、私の教育方法は単に学校だけで、人生を捧げたことにはならぬ。そして私の仕事はただ半分済んだだけである。」という言葉を。

 彼の貧民観は、彼の鋭い社会直観から生まれ出たもので、この貧民にあきらめを説くような単純なものではなかった。彼は1826年、ラングーンにおいて80歳の老躯をひっさげて熱弁をふるい、資本主義的組織が要するに貧富懸隔の原因であることを叫んだ。独立戦争当時のスイスの民衆にはまだまだ自由の余地があった。封建制度という不平等な社会組織に制約されたとはいえ、農民の大多数は地主としての権利と自由があったが、産業革命の結果、平和国スイスにも資本主義的大工業が発達し、資本はそこに集中して日給労働者の数は次第に増加し、かつては国民の大部分を占めていた小地主も賃金労働者として田園から工場へ奪われてゆく。かくして貧民大衆の加速度的な増大とともに、社会組織と文明とは著しく脅威されることとなった。彼はこの世相の動きを説き、全民衆の覚醒を促したのである。もちろんこの貧富懸隔の社会を救う道は、初等教育の力によって人間生活の道を教える他はないというのが、彼の一貫せる主張であった。

 ここに貧民のため、乞食のため、国民のどん底のため、そのほかには何ものも考えなかった歴史的大教育家があったのである。大教育家となるの道は、貧民のためではなく、富者のため権力者のための教育にありという、哀れなる盲信の奴隷となっているような現代教師の常識とは、まったく方向を異にしているようである。

 わが国では、社会のため貧民のためといえば、ただちに左翼とか赤いとかいう悪い常識が案外大きな教育の障碍となっている。それがため真にペスタロッチー精神に燃ゆる青年教師も、心ならずも似而非ペスタロッチー精神の地下に冬眠して、却って危険な道を歩くようになる。世代の教育は、いよいよますます「ペスタロッチー的なもの」へと動いてゆき、社会改革としての教育は、まさしく明日の教育指標となるであろう。貧民のための人間再生の教育を基調としてこそ、熱烈な実践的情熱は発生する。富者のための家庭教師を理想とするような教師は、要するに精神美容術師にすぎない。虚栄の教育者には情熱も生命もない。われわれは、青年教師が再認識されたペスタロッチー的精神に生き、人間としての義務と一致する教育実践に努力すれば、その熱と力とはやがて資本の山を抜き経済組織の変質にまでも発展することが出来るであろうことを信ずる。血を以って血をあがなうような改革方法もしくは悪にむくゆるには悪を以ってするような方法は、教育者にかぎらず何人も歓迎するものではなく、それは最悪の社会関係における最悪の方法である。最悪の社会関係に一歩でも進むことは、やがて最悪の方法を招く所以である。

 ペスタロッチーの社会観・教育観は、より進歩的な青年教師にとっては、不満足なものであり、或は慈善的であるとし、或は第三階級的であり、自由主義的であると非難されるであろう。それにも関わらず、そういう公式以上の立場から再認識されねばならないものは、彼である。(注:この文脈は、セレスタン・フレネに関する批判的評価を再検討する際に、有効であろう。)

 世紀を異にし、社会国情を異にした現代のわが国に、誰もペスタロッチーの教育を、そのままの姿で再現できるというものはあるまい。われわれは、ペスタロッチーの貧民学校を参観したロバートオーエンが「此の一歩進んだことを以って満足した。」といったように、現在の学校精神から、先ず一歩の前進を求めるために、この「貧民の父」を再認識すべきである。(了)

 上田のこのペスタロッチー評価は昭和11年(1936年)という年を考えると、時局的にも、また教育学史的にも、大変優れたものという事ができる。また、今日的に見ても、「歴史的偉人」をそのまま再現する歴史観が支配的な状況下で、歴史を歴史として捉えるべきだという上田の指摘の現代的意義を見ることができる。上田を通してペスタロッチを学ぶという方法も、なかなかオツなものでありませんか?「混沌」の上田が「人間主義」という言葉を引き出し、そこには完全はないと言いきることもまた、上田自身の生き方・哲学を示している。ぼくにとっては嬉しいこと限りなしです。