戦前生活綴方教育史研究の窓1 あるペスタロッチー観

 J.M.G.イタールの実践に出会った浮浪児ヴィクトールが人格発達における主体を形成したその心理的物的な環境的メカニズムはかなりのところ明らかにされています。では、まったく同じ心理的物的な環境的メカニズムを準備し、イタールとは異なる人物が同じ実践をすれば、ヴィクトールの主体形成も同じになるのでしょうか。このあたりぼくには不明です。ただ、機械主義の立場は絶対に採り入れられません。イタールその人でなければならないと言ってしまうと教育における普遍性が成立しなくなりますし、不可知論に陥ってしまいます。こうなるとお手上げです。ぼくは、教育の機械主義を排する立場に固執してきましたし、不可知論を排する立場にも固執してきました。しかし、ぼく自身の立場をどのようなことばで説明していいのか、その明快な回答は今もなお見つかりません。ただ、手がかりは掴んでいます。今日のお便りは、そのことについてとなります。

 先便で「混沌を行く」の青年教師に言及しました。そう、上田庄三郎その人です。彼は教師生活を辞めて後教育評論家とりわけ教師論を主題として残りの人生を送りました。彼の教師論−間違いなく近代学校教師論−の一節を真正面からとらえ直してみたいという衝動に駆られます。「我々が、歴史的教師を問題にするのも、・・・もちろん単純な偉人崇拝でも偶像崇拝でもない。歴史的人間の中に社会を見出し、いかなる社会関係において、彼等が歴史的な教師であったかを学ぶべきである。」どうです?魅力的なことばでしょ?

 上田庄三郎は「近代的な歴史的教師」として、ペスタロッチ(貧民救済)、トルストイ農奴解放)、吉田松陰明治維新の人材養成)の三人を挙げています。ペスタロッチは後2者の先人、後2者はペスタロッチの没後すぐに生まれています。余計なことですが、ぼくは明治維新を近代革命だとする立場を採りませんので、この点、上田庄三郎とは立場を異としています。以下、上田庄三郎の著書『青年教師の書』(昭和11年、賢文館。三井為友・川口幸宏編集解説『上田庄三郎著作集第3巻』昭和52年、国土社、再録。いずれも絶版)から「ペスタロッチーに学ぶべきもの」の節を引用紹介します。長いですが、おつきあい下さい。

 
1 青年教師とペスタロッチー

 ペスタロッチーを教育人の理想とすることは、我が教育界の長い間の定石である。愛の権化、教育の神として、彼はすでにわが国のみならずひろく世界人類の父と仰がれている。しかし教育的に常識化し、万人の盲信の的となっている彼は、それ故にいくらか偶像化された嫌いがないでもない。特にわが教育界では、彼が人間の調和的発展(注:キーワード。調和的発達と置き換える必要がある)を強調したために、彼が黙々たる実践の人であったがために、単に彼を消極的な非進歩的村夫子としてのみ考えているものが少なくない。中にはペスタロッチーの人間や教育観について深く攻究することもなくまったく表皮的概観によって、彼をそうした教育界の現状維持派の守本尊であり、青年教師の進歩的な生活観や社会観を、押さえつけるための訓話的資料位に評価しているものも、少なくない。愛といい犠牲といい献身という言葉が、それを実現するために当然支払わねばならない血みどろな悪戦苦闘を抜きにして、ただ支配者の欺瞞の道具に使いならされていると同じように、またあらゆる偉人の歴史が、その反面の社会正義への熱烈な闘志と、深刻な人道的煩悶を取り捨てて、徒らに形式的倫理のためのあつらえ向きの標本として、利用されると同じように、ペスタロッチーの教育家としての偉大な足跡も、固定的な通俗的偉人観の中に化石しているようである。

 われわれは、すでに決定されて旧時代の評価の中に局限されたペスタロッチーを、あくまで人間的な現代的意義において再評価しなければならない。無限の角度と無限の評価とにたゆるところに、偉人の偉人たる所以があり、万世にわたってそれぞれの時代的必要に応じて社会的生命のあるところに、偉人の超空間的・超時間的な偉大さがある。そして偉人の本質をもっとも積極的な資質において理解し、偉人の体験を全我的に追体験するものは、つねに青年層である。ペスタロッチーを現代的意味で再評価し、その時代性と社会性とを再現することは、青年教師にとって焦眉の時務というべきである。青年教師によって再認識されたペスタロッチーこそ、真に世代のペスタロッチー観となるであろう。
 
2 社会的人間主義

 教育の人間主義が近世教育史上に登場したのは、やはりルソーの思想を源流としなければならない。ルソーはいわゆる教育者というには、あまりに文学的な存在であり、ケルシェンシュタイナーの分類によれば、教育実践家ではなくて、教育理論家に過ぎなかった。もちろん彼には云うに足るほどの教育実践はなかったが、それにも関わらず、彼が教育史上に不朽の功績をのこし、新教育の父となり、教育革命の烽火となったのは、そもそも何によるのであろうか。「彼は人間であった」というひとつの答えが一切を釈然たらしめる。彼の教育思想は机上の空想ではない。灼熱する人間的実践の大地に立脚する生活の表現である。かれはこの思想を来たるべきもののために、実践家も及ばざる精密さをもって暗示した。

 ペスタロッチーはいうまでもなく、ルソーが文学的構造を以って暗示した教育理論を、発展的に実践化した真の教育実行家であり、教育人間主義の第一人者である。彼は、いわゆる社会的人間として、殆んど典型的な教育者であり、人間・生活・思想・技術等々、無限の価値の宝庫であるが、われわれが、今彼に「何を学ぶべきか」を考えるのは、彼を教育家たらしめた最高の動機たる、社会改革への関心でなければならない。ルソーもペスタロッチーもともに、まことに人間らしい人間であった。どちらも人間的煩悩の中にあらゆる苦悩をその最後の一滴までもなめつくさねば止まない人間であった。いずれも、いわゆる世渡り上手な紳士でもなく、金儲と栄達の天才でもなかった。一切の世俗的才能を犠牲にしてひたすら人間であったというような小説的な類型であった。ルソーの中の人間はあくまで求心的に、ペスタロッチーにおけるそれはあくまで遠心的であったとしても、ともに人間であるがために悩み、不完全であるために考え、したがって人間改造としての教育の価値をもっとも高く評価するようになったものである。

 完全を求めることの強烈なものは、恐らく、自らはもっとも不完全な人間であったに違いない。完全の原因として不完全を観る心こそ、教育愛の根本である。ルソーと同じくペスタロッチー精神の根源は、強烈なる人間主義である。人間ペスタロッチーをほかにして、ペスタロッチーを語るのは、ただの物体をかたり、彼の表面を撫でるに過ぎない。

 「私達には綴方学校と書方学校と問答学校とがあるだけである。これに対して人間学校の必要がある。」というのが、彼の根本信条であった。彼は、学校経営の成功者でも、天才でもなかった。いろいろな意味でその失敗者であった。およそ教育に限らず、人生行路の失敗者であり素人であった。教育の技術においても何ひとつ優れた天分があったのではない。カントが「自分自身の書いた教育技術とちっとも一致しなかった。世界中に私ほど拙い教師は恐らくいないであろう。」と告白したごとく、彼もまた立派な技術家ではなかった。無技巧で不調法な人間であった。彼を教育家たらしめたものは、教育技術でも知識でも完成された人格でもなくて、それら一切の不完全を完全にし、一切の欠陥を賠うてあまりある人間的な愛であった。他人のために働かねばいられない労働の性格、他人を愛することによって自己を愛し得る性向であった。 
 
3 社会改革観

 ペスタロッチーの人間主義は、独尊孤立の個人主義ではなく、あくまで全体社会の有機的組織分子としてのみ個人を観る教育的立場であり、社会関係における人間的立場である。(以下、第3信に続く)