戦前生活綴方教育史研究の窓  序

 2月19日からの旅を昨日終え、今日は一日、のんびりと過ごしています。こうした時間をいただけることをありがたいと思わなければなりません。今回の旅では思わぬアクシデントに見舞われました。それは、自身が気付かぬうちに心身に浸みだしていた「老い」が一気に吹き出したものでしたが、同時に、自身を「再生」させるきっかけを与えてくれたものでした。今という時は老いつつも命が生まれつつある時なのだ、そしてその対極の二つの間を行きつ戻りつしながらも、相互に干渉しあい、そう、まるで螺旋を描くごとく生き抜く魂のエネルギーを創生しているのだ、この時を大切に守っていきたいと、心の底から思うことができました。

 この旅で発見することができた「美しさ」に思いを馳せています。その美しい心象風景に出会った当初はそれを作り出したものに自身が関わることができなかった自身を呪いました。そうなのです、ぼくはずいぶんと利己的だったのですね。ぼくの中に進んでいた老いがそうさせてしまったのです。「美しさ」を作り出したものと自分とを取り替えたい、自身の手で「美しさ」を作りたいとあがきましたが、適わぬこと、いや、そうではありません、とんでもない思い違いの上での思いおごりだったのです。

 「美しさ」の心象風景はそれ自身が美しさを作りだしていたということに、やっと気付きました。誰、や、何、によって、何々がこうなる、という「神話」、たとえば「女は男によって作られる」というのがあたかも常識のように語られていますが、これほどに女性の主体を無視した蔑視的な立場はありません。いつしか、ぼくはその「神話」に身を置いていたのですね。今回の旅の主目的であった19世紀初頭の近代教育出発の研究の主要な課題に通じるものがあると、痛感させられたものです。J.M.G.イタールが社会から見捨てられていた一人の浮浪児の教育に携わり、その少年が知性や感情などを身につけます。この現象を「神話」の立場に身を置いて評価し継承発展させようとすると、少年はイタールによって人間性を身につけたという評価から出発し、イタールの偉大さを頌え、その方法・技術を継承すべく実践過程の分析が行われます。しかし、それだけでは、少年自身が知性や感情の必要性を芽生えさせ、実践するに至った少年の主体について見過ごしてしまいます。そう、少年が発達したのであって、少年は発達させられたのではないのです。

 この主体は必ずしも整然としたものではありません。カオスです。「神話」に身を置く立場はニュートン力学と同じなのでしょう。未来予測が可能だとし、その結果に導く法則性をつねに明らかにしようとします。ぼくが身を置く教育の世界は、じつにこれが顕著ですね。いや、これしかない、と言っていい。でも、ぼくたちの主体がその法則性から反したものを選んでいることもしばしば。その反したことを排斥する、矯正する、というのが現実の教育の姿が故に、ぼくたちはもだえ、苦しみ、時には自己否定にさえ陥ってしまいます。重ねていいます、主体はカオスなのです。それじゃ、カオスというのはただ「混沌」として不可知の世界なのでしょうか。ぼくがこの旅で見出した「美しさ」の心象風景は主体が決定したものです。カオス状態の中から「私の必要」を見出し、決定したのです。かの浮浪児−ヴィクトール−もまた、「私の必要」を見出したが故に、人間性を発露させたのです。

 ぼくは「美しさ」との出会いによって、改めて、人格発達の主体形成に関わる教育学研究を進めていく決意を強めました。しばらくの間、ぼくがこのことに原初的に気付かされた我が国大正期の一人の青年教師の「混沌を行く」を、熟読吟味してみようと思います。(2006年3月15日 記)

 <追記>
 2006年2月末に、パリ、ジャンゼリーゼで突発的な吐下血に見舞われた。いやおうなく、「新しい自分」像の構築に向けていかなければならないと決意した。