ぼくが今とこれからを「生きる」ために

ロシア人ボーリス・ヴィルデ。1908年6月25日サン=ペテルスブルグに生まれた。フランスに帰化。第2次世界大戦中、反政府運動(いわゆる「レジスタンス運動)で囚われの身となり、1942年2月23日処刑された。彼をかくも戦わせたのは一体何であったのだろう。
 人類博物館の館長であったポール・リヴェとの出会いは決定的であった。それというのも、その出会いによって、若い科学者・ヴィルデは進むべき道として民族学を志し、ドイツ語と日本語についての研究を追い続けることをやめなかったのだから。フランス語に磨きをかけることを望んで、彼はロシア語とフランス語との会話交換(注:エシャンジュという語学学習方法)の申し出に応えた。提案はイレーヌ・ローからなされている。彼女は歴史学者のフェルディナン・ローの三人姉妹の一人である。彼女はそのころソルボンヌ大学の図書館員であり、二人は1934年7月に結婚する。妻の家族は彼に愛情と同情とを寄せた。1936年にフランスに帰化し、彼は人類博物館で北極文明部に任ぜられた。1937年にはエストニアに、翌年はフィンランドに派遣される(彼はそれを機にフィンランド語を習得している)。言語に対する彼のどん欲さは飽くことを知らない、日本語の研究を続けながら、中国語の研究を計画しているように。
 とうていぼくなどが及びもつかない探求心とその具体的実践。人それぞれの固有な存在を認めるが故に、それを迫害・圧殺するどう猛なまでの蛮行のナチズムとそれに荷担した当時のフランス政府ヴィッシー政権を打ち倒そうと,文字通り命を賭けて戦った。そのためには、戦い守ろうとする「個の尊厳」を知り尽くし慈しまなければ本物にはならない。そのための、言語という文化理解への挑戦。
 今、我が国で盛んになされている他民族・他文化排他・排斥・抑圧・隷属化願望の暴虐に立ち向かっていくためのパッション。ぼくはその根源をヴィルデに求めようとしているのだ。