K先生へ ― 作品「朝のリズム」の紹介

K先生 午前中曇っていた空も明るくなってきました。早朝の地震には驚きましたが、幸い事故はありませんでした。
 羊の肉が好きなのでジンギスカンは好物です。「ジンギスカン鍋」が日本のオリジナルだと知った時は驚きでしたが、カブトの形をした鍋(というんでしょうかねえ)が肉の脂を流し落とす利便のためというところに、じつに知恵があるなと感心したものです。もっともそれは、牛肉を鋤に乗せて焼く(スキヤキ)というところにヒントがあるというのですから、これもまた感心ものです。もっとも後者の真偽のほどは不明なようですけれど。
 ところで、日本標準の道徳は、私も編著者の一人であり、よく編集委員会でぶつかりました。「現実的でない」「特殊地域である」などなど、「生活に根ざす」ということをはき違えて発言する編集者(校長)や営業担当者から,作品の改編が強く要求されるのです。「ジンギスカン」などはその典型ですね。私は改編に反対の弁をつねにぶちますが、私の意見が採用されることはまずありませんでした。
 教材の書き下ろしを命じられて、幾作品が書き下ろしています。次の作品「朝のリズム」もその一つですが、ユーカリ、アウトレットモール、太平洋、60前後にクレームがつき、テーマさえ変更がないのならと思いなし、言うがままにしたのです。
それでは、今日はこの辺で。
川口幸宏
追記:提出した原作は「新聞配達」の経験を綴ったものでしたが、少年労働禁止の法精神に反するという発言で、作品は没。続いてて蝟集したのが以下の作品。アメリカ合衆国・西海岸沿岸地方の小村での生活経験を元に綴ったのでした。
***********
朝のリズム (原作)
 私の住む町は、散歩やジョギングを楽しむための道がある。
 大きなユーカリの並木道を両側に眺めたり、太平洋を沖合に見る入江を望んだり、もともとは缶詰工場だったのを改築したアウトレットモールの間を突き抜けたりと、景色の変化もなかなかのものである。
 この道を、風の日も雨の日も、太陽が照り注ぐ日も、寒くて手が凍える日も、私は毎日走る。ハッ、ハ、ハッ、ハ。このリズムの生活をはじめてから、それまでひきやすかった風邪にもほとんどかかることがなくなってきた。
 早朝、この道で見かける人は、ほとんどがジョギングを楽しむ人だ。だから、朝のリズムというのは、ハッ、ハ、ハッ、ハというものだ。ジョギングを始めてまもなくから、そう感じていた。ユーカリの枝の揺らめきも、海の波の音も、工場跡のしんと静まり返ったのも、ハッ、ハ、ハッ、ハ。すべてはこのリズムを応援してくれていた。
 ジョギングを始めて3ヶ月ほどたった頃、ふたりづれのお年寄りを、毎朝見かけるようになった。ふたりは60歳前後だったろうか。
 おじいさんはいつも右手につえを握っていた。それで体を支えているのだろうが、よく見ると、手もつえも細かに震えている。若い頃は太陽の下で力を使う仕事をしていたのだろう、首も腕も、赤黒く焼けて、たくましい。
 右隣のおばあさんは、なにやらつぶやきながら、おじいさんの足もとを気遣うように、のぞき込んでいる。
「ほら、小さな石ころがありますよ。気をつけて下さいな。」
とでも、ささやいているのだろうか。
 ふたりは、ソロリと一歩踏み出しては、一歩ぶん休む。
 ソロリ、休み、ソロリ、休みと、繰り返す。
 おじいさんが一歩踏み出すと、おばあさんがおじいさんの左手を持ち上げながら、一歩進む。それが、ゆったりと、しかもリズム正しい。
 もちろん、ふたりをはじめて見かけた頃は、私にとって老夫婦は、道ですれ違う人たちにしかすぎなかった。
 だが、同じ時間に同じ所でであうことが一週間も続くと、いつもの所に近づく頃には、心の準備を始める。
「こんにちは」
ぐらいの挨拶の言葉をかけてから通り過ぎようかと考える。
 しかし、実際にふたりの姿を前方に認め、それがだんだん大きくなってくるとともに、声をかけることがとてつもなく大事業のように思われ、ためらってしまう。
 結局は、ハッ、ハ、ハッ、ハ、ふたりを追い抜くだけなのだ。
 ふたりの姿が後ろに見えなくなったとたん、不思議なことに、どんなささやかなことさえもなかったかのように、心が落ち着いてくるのである。
 挨拶もできない日々を一ヶ月も続けていただろうか。
 お年寄りは、あいかわらず、ソロリ、休み、ソロリ、休みを繰り返していた。しかし、私自身には、ハッ、ハ、ハッ、ハのリズムに多少の狂いが生じていた。ふたりとすれ違う前後に、ハッ、ハッ、ハッ、となってしまう。
 私は、その理由がお年寄りにあると思い始めていた。そうなると、ソロリ、休みのリズムが気になって仕方がない。
 いや、気になるというよりは、ソロリ、休みのリズムが、トロリ、休み、トロリ、休みと変わったのではないか、そしてそれが私のリズムを変えているのではないかとさえ疑るようになった。
 実際にはむしろ、おばあさんが私に、好意的なほほえみを示してくれるのだったが。
 だが、今やそのことさえもが、私の中の小さな戦いに拍車をかけるのだった。
 ハッ、ハ、ハッ、ハに乱れを感じいらだちを覚えはじめて数日たったある日、いつものようにふたりの姿を前方に認めた。
 お年寄りの背中を真ん前にとらえ、ハッ、ハッ、ハッと追い抜こうとしたとき、かすかにだが、おじいさんが右側に傾いた。私の足音の気配を感じて道を譲ってくれたのだろうか。
 とっさに、私の口から、「おはようございまーす。」と、言葉が駆け抜けた。 ハッ、ハ、ハッ、ハ。もとのリズムで、私は先を駆けていった。後ろからは、「毎朝頑張ってるねー。」という声が聞こえてきた。振り向くと、おじいさんのつえが、高く高く、振り上げられていた。