日生連夏期合宿集会 報告 ―社会科を中心として―

教育史料
熊本県職員組合編『熊本教育』第176号、1962年9月号 所収

日生連夏期合宿集会 報告 ―社会科を中心として―
熊本竜南中 徳永恒一

 山中湖は、山梨・静岡・神奈川三県の県境近くの湖水である。新宿より中央本線の車窓に展開する武蔵野、相模湖、桂川沿岸の風物美は、初めての旅行者にとって退屈な汽車の旅を楽しませる景観である。大月を経由し、夏山の若者の群れとリュックサックでごったがえす富士登山口で有名な富士吉田駅につく。やがて、富士急のオンボロバスに揺られ山中湖畔の撫岳荘キャンプ場に東京より五時間で到着する。街路の松にむすびつけられた「歓迎四者共催研究集会 」の横幕が印象的である。バスが着くたびに、数名の下車にスピーカーの案内が、「研究会参加の先生方、おつかれさま」とは、富士の霊気と湖水の風と共に心地よい。受付で、本県の大先輩、丸木政臣(日生連事務局長)よく肥えた小松福三さん(全青協(ママ)事務局長)が「やあ、来たな。」とあたゝかい歓迎。「工藤さん(熊飽文化部長)も、家族づれで、・・・実は奥さんと、もう来とるよ。」と。熊本一番乗りとのこと。元気百倍頑張って、この集会から何かみんなのものとなるものを持ち帰ろうと決心し、独りでにファイトをもやす。
・第一日目 全体集会(一二〇〇〜一四〇〇)
 川合章日生連研究部長(埼玉大)から、「現代学校と生活教育」のテーマで提案。
一.日生連の歩みとして一九四八年(昭十五(ママ)) コア、カリキュラム連盟創立以来の一貫した「子どもを大切にする、子どもを主人公にすえる教育の研究、実践をすゝすめてきたか。」そして、今日どうすることが、本当に子どもを大切にすることであるかについての考え方が進化、発展してきたかについての連盟の歩みを三期にわけけられ、
第一期―コア連の創設から三層四領域論の成立まで(一九四八〜五一)
第二期―三層四領域論から「日本社会の基本問題」まで(一九五一〜五五)
第三期―「日本社会の基本問題」から教科の本質、生活指導の課題の追求(一九五五〜六二)
 第一期は、天皇制、軍国主義教育の批判から教育の民主化、教育内容の自由編成を徹底的にすゝめた時期で、学校教育と社会生活の中での子どもたちの形成過程の独自性をみとめず単純におきかえたきらいがあった。
 三層四領域論により、学校教育を全体として構造づけ、画期的なものとして子どもの全的発展に計画化しようとし、日常生活課程をより生活指導的に研究課程を教科的にしようとする動きがあった。しかし、教育諸活動の独自性が弱かった。
 第二期は、「日本の歴史的、社会的課題にこたえる単元学習の研究」をすゝめ、社会科指導計画(日本社会の基本問題)を立案し、教育の歴史的社会的背景を追求し、日本の歴史的課題を教育の内容にくみこんだ。
 社会科を教科として位置づけ、.日常生活課程の生活指導化がすゝめられたが、他の諸教科の位置づけが甘く、教えるべき内容(社会課程)と子どもの問題意識との安易な連続観がみられ、教科論、内容論の弱さがみられた。
 第三期は、現代社会の人間疎外に注目し、学校、教科、生活指導の独自の役割を追求し、教育内容の系列化をはかる。そこから学校論の視点をもり込んだ新しい教育構造論を生み出そうとした。現時点における生活教育の研究の指向性も、この歴史的歩みの中から把握できると説明された、
二.「現代学校と生活教育」では、(1)現代学校の苦悩―それは、現代日本の教師たちが、ものすごく解決困難な問題をかゝえ込んでおり、その現実の中で、(2)生活教育の考え方―は、どうあらねばならないかとされており、例えば、学習問題をとり上げるにしても、学習意欲、進学就職・学力差観・等の問題と多くかゝえており、非行問題、人間差別問題と現代社会の頽廃からくる問題現象が山積している事を指摘し、それらの問題解決を学校教育に課題に要求すると共に、学校管理体制の強化による教育の権力的支配の傾向が行われる現状である。その中で、生活教育は、そのような問題の根が、子どもが生きている現代の社会のしくみ、社会生活のあり方にあるとし、教育の根源としての社会生活にさかのぼって考え、その上に立って実践をすゝめようとする思想にたつ発想こそ、高度に資本主義化した現代に決定的な意味をもつとしている。現代社会に問題の根源を求めることは、学校教育の責任回避ではなく、体制変革論でもなく、現代社会生活の内部的諸矛盾、そこにおける発展の可能性に着目し、この拡充のために学校は何を為すべきか、何ができるかの追求であり、それは歴史的社会的な大衆生活に、その根源的な力は求めるべきである。また、現代社会の教育力には期待がもてない状況下にあるとして、現代学校においては教師の指導力にもとづく学習内容の設定が、とくに要請される。学習内容の選定には、教師の一方的考え方ではなく、歴史の歩みの中で、大衆により継承されてきた真実性のある文化遺産と、現在の国民大衆的教育要求という観点を基本におき、その上にたち、教師は、すべての民衆の可能な限りの全面的発展をめざす課題にこたえるものとして、教室実践を通じ創造していくべきである。(3)現代学校の構造―独占資本の社会生活全般に亘る人間疎外状況を直視し、学校でなしうる方法の人間本質快復の追求を考える。
 その土台に、生産労働の人間的本質の快復がすえられ、政治、文化が人間本質にあるものとしてくみかえられていく見通しの中で、子どもの全面的な発展をめざす文化活動、集団過程としての学校をと、そこに学校を位置づけるとされた。学習内容としての文化遺産は、現実的機能と習得のし方により、①言語、②数学、③科学、④芸術、⑤技術、⑥体育、⑦集団的、社会的発展の領域で考えられ、領域はそのまゝ、教科、教科外にあてはまるものでなく、教科は、文化遺産を子ども達のものにしていくために成立の意味があり、その構成は、子どもの発達、学校の社会的役割に即して考えられる。教育が社会発展の見とおしに則し、人間の全的発展をめざすいとなみならば、人類の生産労働、社会活動の発展を中軸にして、七つの諸側面の領域とからませ、人間発達の全体構造を押さえるべきで、この全的発展にたいし、学校は何をこそ、現代の社会の中でやらねばならないかを追求すべきである。そのためには、それぞれの領域に即した、今日の諸教科の中で、先ずたしかめながら、将来、どのような教科を設定し、どのような内容を設定するかを、毎日の実践の中から、学校教育の全体構造という上から、追求すべきである。
 以上の提案がなされた。提案はレベルの高い内容のものであり百名を超す参加者も真剣に、川合さんの声に耳を傾けていた。
・部会(一四〇〇〜一八〇〇)
 社会科部会―「社会科の内容構造」 国語部会「国語教育への反省と授業改造」 宮城の集会のため大阪勢中心の共催団体の一つ体育研究同志会のうけもつ体育部会―「体育と運動文化(教材の価値の追求) 科学、技術部会―「技術課題を含む小学校の理科教育とそれをふまえた中学校技術科(家庭科を含む)のあり方 生活指導部会―「人間的要求の掘りおこしから集団の組織化への路線の追求(幼低、中、高、中高、児童生徒会の五分科会)」。
 五部会、各テーマをかゝげ一斉に部会がもたれた。私の参加した社会科部会では、全体提案として東京サークルの高木浩朗氏(業平小)より「社会科の内容構造―(理論と実践の具体的研究)」―テーマで、社会科が内部構造を考えるようになった歴史的背景を、日生連の社会か教育の歩みを通し、三期にわけときおこし、内容の順次性から内的構造論への発展の経過が説明され、東京プランが出された。
1. 社会科は文化価値追求と集団化の二つの過程の仕事を持っている。(低学年必要論)
2. 地理、歴史、政治、経済の学問は社会全体にせまる分析的な方法である。社会を全体として眺めていて明らかにならないものを明るみにひき出すための分析である。だが、分析の基本的視点は、分析、綜合、と相即的に発展するので綜合を見透すことによって決定されうる。学習の順序として、綜合―分析―綜合のサイクルによって小中高を見透す内容系列は、具体化される。社会諸科学の追究する独自なものをしっかりつかませると同時に、社会全体像を科学的につかませていくという各分野の独自のねらいと、その相互のかかわりあいをどのようにおさえるかという分析―綜合の統一しうる内容系列を重視すべきである。具体的には、幼低、小、中、高、と段階別の分析的視点のプランが出され、この事により一応、社会科の内容構造の出現の必要性と問題点が理論的に整理されたと考えられる。
次に、香川プランで名をはせた岡野啓(坂出小)が、日生連の社会科の伝統や遺産と決別したかの印象を与えているが、全くの誤解で、今も問題解決学習を実際おこなっていると力説された。それは問題意識と学習内容との結合を考え、学習の中でこそ、定着、深めさすものか、社会認識の系列の研究をやっている。例えば、おてつだいのできるしごとできないしごとの問題意識から、父の職業労働より→企業組織の認識へ、みんな売っている、売るものゝ少ない人は貧しいという事より→商品生産の認識→段階の認識の学習にはいっていったと説明された。あmた「きびしい。苦しい、何とかかえていこう」という行動面については、実感主義に陥る可能性が強いので、自己をたえず社会科学的に、これがどんな場なのか見つめる事が大切である。また、社会改造という事がいわれるが、そのエネルギーとは一体なにをさすのか、余りにも社会改造のエネルギーと問題意識をもった子どもという表現によい、無理な要求があったのではないか。
社会改造のエネルギーは、現代の社会の客観的理解からして生まれるもので、感性的に知ったり、よくわかりもしあにのに教え込まれても生まれないものである。先ず社会を知るということを組織的に学習することが社会科学習ではないかと香川構想を発表した。そのめあては、日本資本主義の理解のために、資本主義社会一般の理解ができるような素地を養う。社会科学、それ自体でなくその前段階の社会科である。その方向が社会を構造的なもの、発展的なものとみるような方向であるとむすんでいる。
これに対し、新潟上越教師の会、江口武志氏は、生産労働を中心とする社会科においては当然、その認識の発展を考えねばならないので、低学年社会科は必要であるという前提に立って、「内容構造についての考え方」を示した。上越プランに・社会科としての全体構造(内容構造)が明らかでない。・子どもの社会認識を子どもの行動面に結びつけ考えようとするため感性的認識が強く、陥りやすく、土着の社会科の観があり泥くさゝがまつわりついている。・反封建への志向は強いが反独占への志向が弱い。
諸批判に、私たちの考える生産労働は、東京、香川と異なり社会科の一領域ではない。生産労働の科学的認識といえば、とかく経済領域であると考え易いが各領域(経、政、歴、地)の認識系列の支点をこゝにおき、その中核と考えておる。経済領域は、「資本と賃金労働との関係」の認識、政治領域は、「人権と政治権力」の認識、歴史認識は、「社会構成の発展」の認識、地理認識は、「自然と人間との関係」で、生産労働の支点で相互に関係し合い、支えあいながら科学的な社会認識が深められていくものであり、個別認識などありえないのが社会認識の特色であると考える。
香川、東京プランの「子どもの認識を社会について、それはあくまでも客観的なものとして認識することに主眼をおく」立場は、充分、泥くさい社会科という、私たちのプランにとって重要であるので考えていきたい、生産労働の科学的認識の五段階の発展段階は、事実認識―問題認識―条件認識―法則的認識―科学的認識があり、さらに深め、各学年、各分野における基本認識の系列をおさえていきたいとされた。東京、香川、新潟と三つの内容構造について提案がおわり、本年度の検討課題は、この辺りと思われた。
討議は、広岡さんより、生産労働という軸だけで、社会科はおさえられるのか、経済決定論は権威のあるものとして疑う余地はないのか? 非常に重要な条件だが、基礎ではない。生産労働の基礎は「人間らしい生活をしていく願い」ではないかという爆弾的提案があり、やりとりが行われたが時間切れで、各科会の中で続けていこうとされた。
夕食時には、この合宿集会特有の自由な雰囲気のレセップションが開かれ、梅根、広岡、川合等の学者連、樋口、春田の校長さん、民研の海老原さんをはじめとする全国から集った現場実践家の紹介の中で会員に親睦交換が、キャンプファイヤの炎と共に、夏の一ときが過ごされた。
八時より、日生連と全青教の総会が開かれ、全青教は一九五四年社会科改訂問題の折、民間団体の青年教師をつなぐものとし日生連より独立 して以来、阿蘇集会等で熊本にもなじみであったが、民教協の結成等により、再び日本生活教育連盟として十二月の総会から統合する事が決定され、新しい組織の中で「生活教育」をおしすゝめるという組織面の強化は本集会の特記すべき一つである。
第二日目は分科会別の研究が八,〇〇〜二二,〇〇まで続けられた。歴史の分科会では、東京の鹿野氏の中学年の社会科を通し、今の社会科で時代認識は可能かについて提案があり、全体会とからませて、内容構造と内容系列を具体化するため「江戸の農民の生活」にしぼり、教材研究が各学年ごとに行われた。その中に、歴史を発展的にとらえる、生産力の発展を軸とする時代区分、生産力と生産関係をすじとする学習のおさえ方や、子どもの問題意識と内容構成を考えようと努力された。
三日目は、問題別分科会が開かれ、政治と教育・現代子ども論・教授学習過程、全面唖hったつ、芸術と教育のテーマで話し合われた。
三日間の短期間だが、全国から参集した会員と夜の三時近くまで単元習作をして学び、語り合い、全国の水準をまがりなりにもつかみえたことは大きな収穫だったと思う。熊本から、生活指導部会司会として大活躍した工藤夫妻、健軍小平木さんと小生、四名の参加でやゝ淋しかったが、来年は多くの仲間とかけつける事を約し、時折、富士の演習場の大砲の音をのぞけば、平和な富士の裾野の緑に囲まれた静かな湖、山中湖を後にした。

(引用者追記)
 1.「四者合同」とあるのは、日本生活教育連盟、全国青年教師連絡協議会、学校体育同志会、文学教育研究者集団、のこと。
 2.全青協、全青教 の名前が使われています。正式略称は「全青教」だと思います。
 3.全青教の結成は1958年8月です。記事に誤りがあります。