NO. 10 法務大臣プロト(弁護士会会長ルース氏、大司教とショディ氏の保護を要請する)

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 プロトはコート・ドールの極貧家庭に生まれた。苦学の末弁護士と医師との資格を得ている。1871年3月26日のコミューン選挙で11区から18062票を獲得し、選出された。パリ・コミューンの広報紙にはつねに彼の名を添えた政令、命令が掲載されている。
 パリ・コミューンは全体として平和と自由と平等とを尊重したが、それらを過剰なまでに尊重しようとすることで、今日から見ればいくつかの重大な「過ち」を犯している。そのもっともなものが宗教弾圧と宗教指導者の処刑である。
 1871年月2日、かの有名な「国家と宗教とは分離される」という政教分離を議会決定したが、過激な一団は生活の場における宗教的なすべての排除・破壊行為に及んでいる。それを法律的に政治的に咎めるということはされていない。